あとがき
私の吸血鬼の原点は、吸血鬼の意味すら知らなかった頃に出合った『ポーの一族』(萩尾望都)と、『吸血鬼ハンターD』(菊地秀行)である。その二つの作品に共通するテーマの一つが、異端であり不死である存在の哀しみだった。
ヴァンパイアの「未来永劫」の生は、永遠に別離を繰り返すこと。その哀しみが切なく、やるせなく、もともと暗ーい話が好きな私は、つい、はまっちゃったんである。
いつか書きたかった吸血鬼ネタ。
なのに――。
「何だかね、吸血鬼が着流しなの……」
そう話すたびに、片っ端から驚かれてしまった。
よくぞここまで、(いわゆる吸血鬼ネタから)外せるなーと、我ながら感心しきり。ヴァンパイアというテーマを選んだとき、一応、西欧文化圏も考えていたのだけど……いーじゃないっ、ファンタジーなんだもん。
いっそJAPANESE VAMPIREを極めてみようかしらん。
ところで西欧系吸血鬼は薔薇を好むらしいのですが、アジア系の彼らは丁子の香りがお気に入り(と私が決めた)。
どうせなら思い切り耽美に走ってしまえと、今回、この香りのシーンにこだわりました。そしてもっとこだわったのが「待月亭」の設計だったりして(笑)。本職なもんで図面まで描いてしまった。
すみか的吸血鬼考 1
吸血鬼は不死者である。 つまり、ありあまる、持ちあましちゃって飽きるくらい、腐るほど時間がある。 たとえ腐ったとしても、捨てるわけにもいかないから、はるばる日本に流れてきた吸血鬼は、茶の湯や生け花なぞ習って、暇つぶししたりする。 イヤになるくらい時間があるんだから、ぐーたら習っていたって、たぶん免許皆伝クラスだろう。もしかしたら小唄や三味線、踊りなども堪能だったりするかもしれない。 だから、着流しの吸血鬼がいたっていいじゃない……と思う。 恋を仕掛けるにしても、あまりアホだと相手にされないから、ある程度の(目立ちすぎてもいけない)教養は必要だ。 そのためにも一石二鳥ではないか!
さて、現代にも彼らは生きている。 着流しで頑張っていようと、この情報化時代、メールやインターネット程度はできないと時代に乗り遅れてしまう。無聊を慰める遊び相手がいなくなっちゃう恐れがある。 だから当然、彼らもパソコンなぞ勉強するのだろう。ということは、勉強嫌いの吸血鬼には非常に生きにくい世の中ではなのではなかろうか。 そう考えると、永遠を生きるというのも、かなりしんどいことだなぁと同情してしまうのだ。
すみか的吸血鬼考 2
彼らのことをいろいろ考えているうちに、ふと疑問に思ったことがある。 吸血行為で種を増やす彼らには、マスター(主人)が滅ぼされると、人間に戻るというお約束がある。 吸血鬼になった時点で彼らの肉体は時間を止めるが、しかし、その肉体に時間は加算されている。それゆえ、経年によっては滅ぼされると呆気なくチリになってしまう。なりたての身体は腐りかけの状態で人間に戻ったり。 ということは、マスターのマスターが滅ぼされたら、マスターも滅んじゃうわけで、 つまり、「孫」吸血鬼もチリになったりしちゃうんだろうか。 親ガメの背中に子ガメを乗せて、子ガメの背中に孫ガメ乗せて、孫ガメの背中に曾孫ガメを乗せて……親ガメこけたら皆こけた、に代表される連鎖反応というやつだ。 だとすれば、さかのぼって始祖であるご先祖様が滅ぼされたら、すべての吸血鬼は消えてしまうことになる。 だが、それは困る。ドラマにならんし、ロマンの欠片もないではないか! で、悩んだ末に思いついた。 吸血鬼にされたとしても、自ら吸血行為をしないかぎり仲間にはならず、血を吸うという食事をして、初めて純然たる吸血鬼として独り立ちする。その時点で生命維持に関してのみ、マスター契約は破棄されるのではないだろうか。 これなら、かのクリストファー・リー氏の代表作である映画『吸血鬼ドラキュラ』にも矛盾しないと思われるし、少なくとも、すべての吸血鬼が、ある日突然消えてしまうという恐れはなくなる。 あぁ・・・どーして、こー、どーでもいいことだけは真剣に考えるんだろ、私。
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