原田千尋(はらだ ちひろ)


角川スニーカー文庫(ルビー文庫創設に伴い移行)の作者略歴によると、
――大学卒業後、現在までカメラマンとして活動するかたわら、時々、小説を執筆。東京在住だが、時に住所不定になる。仕事を離れて、ひとりで気ままに各地を放浪するのが趣味。一年の半分は「24時間男」で働き、残りの半分は旅をして「寅さん」のように生きたい。――とある。おそらく写真も、小説と同様に繊細な作品なの
だろうと推察する。1度拝見したいものだ。
1984年2月、小説JUNE5号から登場と、早くから活躍されていた。
ロック界を舞台にした三部作「君が人生の時」(JUNE1984.4月.6月) 
「いつもキラキラしていた」(JUNE1986.2―10月) 「波の名前」(1993.ルビー文庫)が代表作だが、私の個人的趣味から戦争を背景にした作品が印象深い。
精細な内容とともに、思わず手を伸ばしたくなるようなタイトルや章題にも、原田氏の作品に対する愛情やこだわりが感じられて素敵。


 いつもキラキラしていた…
 彼の時刻を止めて
 われ永久に緑なる







「いつもキラキラしていた…」初出1986年2月−10月「小説JUNE」連載
                          1990年角川スニーカー文庫→角川ルビー文庫

多分人は、一生に一度のたったひとりの人との出逢いを求めて、
生き続けて行くのかもしれない。


内容
問題児として高校を退学処分になった田上哲郎だが、ロック・ギターでは天才的な閃きを持っていた。兄、邦和への執着、それゆえ生じる兄弟の微妙な確執が、哲郎を駆り立て、渇望させる。
邦和から譲り受けたオベイション(ギター)を抱えて、哲郎は飢(カツ)えの熱情をロックにぶつけていたが、フリーライター・神生沙知との出会いから、プロデビューするきっかけを得る。
それは学生時代から沙地が見守り続けてきた人気ロッカー 小津翔一郎(翔)への挑戦でもあった。
哲郎のデビューは話題を呼んだ。彼のロックバラードの美しさに衝撃を受けた翔は、その若さゆえの情熱を羨望している自分に気づく。
精神的に不安定な妻・志貴子に対しての罪悪感や、希薄になっていくロックへの情熱に苦悩する翔を見守りつつ、哲郎を愛する沙知。常に自分を見つめていた沙知の存在が遠ざかっていく不安に揺れる翔。葛藤の末、志貴子との離婚を決意した翔の生活は荒れていく。
一方、一躍注目を集めた哲郎だったが、兄に対する内なる飢えが癒されたわけではなかった。

恋人の妊娠をきっかけに邦和は結婚を考える。哲郎の葛藤は、やがて哲郎が原因で起こした事故で、兄を「死」へと導いてしまうことになる。邦和の死によって歌への情熱を失った哲郎は、大切なオベイションを翔に託し、すべてから逃れるようにアメリカに渡る。そして哲郎がすべてを捨てていったという事実が、ますます翔を追い詰めいく。
やがて翔もまた、かつて聴いた哲郎の歌を求めて後を追う。翔にとってそれは、もう一度歌への情熱を取り戻すきっかけを求め、また生きる意味を模索する旅でもあった。

アメリカの小さな街で翔は哲郎と再会する。
哲郎は男娼と変わらぬような荒んだ生活をしていた。しかし彼の中に汚れは感じられず、たくましさと穏やかさだけが感じられた。
だが哲郎の内には翔の目的が分からぬ苛立ちがあった。翔を試すために、哲郎は彼をレイプさせる。ショックを受けながらも、翔は「彼の音楽の本質は、泥にまみれても変わらない宝石のように、真実なのだ」と信じようとする。

薄汚れたバーで、オベイションを抱えて歌う翔の前に現れた哲郎は、黙ってピアノでセッションする。
哲郎の声の美しさは変わっていなかった。両手を広げて包み込むように人を愛したい……哲郎の歌からにじみ出る言葉ではないメッセージに、翔は、閉ざされた言葉が解き放たれるような気がして、一筋の涙とともに歌への愛を取り戻す。それは翔が再び生きるために歩きだそうとすることでもあった。


書評
鋭く痛い青春小説というのが第一印象でした。
その鋭さは研ぎ澄まされたナイフのようであり、しかし金属的な冷たさではなく、手に握り締めていればやがて融けていく氷のような鋭さと言ったらいいでしょうか。
翔は、内面は少年のまま、しかし情熱を失ないつつある「疲れた大人」になろうとしている自分に焦慮しており、自分を見失いつつあります。さらに志貴子への罪悪感が拍車をかけ、翔は人生の中で立ちすくんでいるのです。
これからトップへ昇っていこうとする哲郎と翔は、ポジとネガの関係と言えるでしょう。
哲郎がアメリカに渡るまでに、翔と直接言葉を交わすのはたった2回だけです。
そのうちの1度は哲郎が翔にオベイションを譲るときですから、実質的には1度に過ぎません。にもかかわらず、互いのうち深くに互いの存在が刻み込まれてしまいます。まるで魂が惹かれあうように……。誰もが心の奥底で求める存在に出会えたこいつらが羨ましいかぎりです(笑)。

2人は沙知を挟んで、鏡合わせのように向き合うことになりますが、その彼女の立場が切ないです。沙知は翔を愛しつつも、彼との間に恋愛は生じません。他ならぬ翔によって、常に見守る観察者の立場に位置づけられてしまいます。
そして哲郎を深く愛していく沙知ですが、彼女が内実で追っていたのは翔の影だったように思えます。

さらに沙知は、アメリカに去って行く哲郎をも、理解するからこそ見守るしかありません。
女でありたいはずの彼女に求められるのは、母性だったのではないか……これは女にとって辛く切ないポジションで、男性作家ならではのキャスティングだと思うのは穿ちすぎでしょうか。そして、再び生きるために歩き出そうとする翔を、恋愛とは異なる視点で、沙知はやはり見守り続けるのです。

再生へと向かう翔とは対照的に、どこまで落ちていけるかを自らに課す哲郎の行く先は明確に示されていません。ストーリーは余韻を残して終わり、のちに発表される『波の名前』と継がれていきます。

ところで、この作品は、1984年(4月−6月)「小説JUNE」に発表された「君が人生の時」の続編となるのですが、こちらは残念ながら文庫化されていません。一作目において翔の元を去って行くマネージャー川田の葛藤がやや分かりにくいかもしれませんが、雑誌のみ掲載された作品を発掘目録(笑)に入れてよいものか、ちょっと悩むところ。

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「彼の時刻(とき)を止めて」1992年スニーカー文庫→ルビー文庫)

逝く春に、願わくば彼の人の時刻を止めて
イク ハルニ、ネガワクバ カノヒトノ トキヲ トメテ


内容
芳賀千郷(はが ちさと)は大学の春休みを利用して訪れた長崎で、加納敬吾(かのう けいご)と出会う。その加納の姿を千郷は、佐世保の資料館に展示されている海軍兵学校の生徒たちの写真のなかに見つける。
加納は時を止めたまま生きているという。疑心暗鬼になりつつも、次第に加納に惹かれていく千郷に、彼は謎に包まれた過去を語る。

昭和20年4月、敬吾の従兄である海軍中尉 岩崎優一郎が死地に赴く日が近いことを知らされる。冷静に己の死を見つめる優一郎は、敬吾への形見として腕時計と、残される母と恋人の日野史子の行く末を託される。
その敬吾も兵学校への入学が決まっている。やがて自らも戦うためには未練を断ち切らねばならぬ。
敬吾は、「逝く春に、願わくば彼の人の時刻を止めて」と思いをしたためた便箋と、腕時計をガラス瓶に収め、満開の桜の根元に埋める。

そして、終戦。すでに原爆により家族を失い、生き残った敬吾は、戦後の混乱のなかで史子を支えつづける。
だが優一郎の死を知った史子は、少しずつ精神のバランスを崩していく。それほど一途に優一郎を思える史子に嫉妬し、嫉妬しつつも守らねばならぬ重圧から、敬吾は史子を犯してしまう。その日から史子は完全に心を閉ざし、敬吾はその姿のまま、時間を止めてしまう。

千郷には夢物語にしか思えない。それでも加納に誘われるままに、かつて別離の日に優一郎と敬吾がたどった地へ向かう。桜の下から掘り起こした瓶から出てきた時計は止まっていた。
だがその夜、時計は密かな時を刻み始める。加納が優一郎と別れた日の再現をしていることに千郷は気づくが、1度動き出した時間は止まることなかった……。


書評
敬吾と優一郎の間にあるのは恋愛ではありません。いわゆる軍国少年である敬吾がいだくものは憧憬と思慕であり、優一郎は肉親のような情愛を向けています。
不条理の時代でした。クリスチャンである優一郎はその不条理を意識しつつ、静かに微笑んで死地へと船出していきます。おそらくは葛藤の果てに、すべてを飲み込んで逝かざるをえなかった当時の多くの若者と同じ様に。
その上で優一郎は、「決して、無駄に死んではいけない」「生き残って、誰かが伝える。そのことも大切だ」と敬吾に告げます。敬吾の手に残された時計は、生きた証さえ残せず逝く優一郎の、無念の思いを受け継いで欲しいという切ない望みであり、受け継がれる「愛」を象徴しています。
静寂さえ感じるストーリーにひそむのは、激しい情熱です。
時間を止めてしまえたら――優一郎の背中に願った敬吾の思いと、別離の日の道筋をたどろうとする敬吾への、千郷の思いがオーバーラップし、深みのある作品に仕上がっています。

余談ですが、この作品を読んだころ、私はちょうどこの時代の小説を書いていて、もちろん内容は全然別物なのですが、着眼点が似ていてけっこうショックでした。もちろんめげずに書いたんですけどね。
この時代を背景にするのは、戦争を知らない世代にとって(だけではないかもしれませんが)、ものすごいエネルギーが必要です。溢れてくる哀惜と、冷静に見つめなければという葛藤で、精神的にかなり参りました。
今回作品を読み返して当時を思い出し…あのエネルギーはどこから来たのだろうと、ふと懐かしいような不思議な感覚を覚えました。

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「われ永久に緑なる」(1992年勁文社)

氷見(ひみ)は僕を……最後の最後まで試すのだ……


内容
昭和12年、古賀敬志は私学の慶果学寮で氷見清貴と出会う。時代は暗く重苦しい方向へと移りつつあるが、私学の中だけには辛うじて自由が残されていた。
名家の子息である氷見は、気高く美しい、孤高の「王(ケーニヒ)」として尊敬され、一方で敬遠されていた。
実直な真面目さから「正義(レヒト)」とあだ名される古賀と氷見は、ゆっくりと接近していく。

淡い友情を、軍事教練教官の三方(みかた)中尉や、氷見につきまとう友禅の絵師・根津との関わりが、より近づけていく。
ある日、級友の松波が服毒死する。その死は、結果的には氷見に追いつめられた故の自殺とされた。自分に向けられた中傷に、氷見は冷厳たる態度を崩すことはなかったが、内実では深く傷つく。毒の入手先に氷見は、根津を疑う。
だが氷見は、根津と、さらに彼の情婦である志摩に犯されてしまう。その行為は誇り高い氷見を無残に打ち壊す。一方で、己のなかに潜んでいる暗い欲望に気づかされ、彼は衝撃を受けるのだった。
敬志にその夜の事を告白した氷見は「根津を殺せ」と彼の守り刀である短剣を差し出す。
自分が試されていることを知りつつ、敬志の一瞬の逡巡が、二人の友情を希薄で重苦しい関係に変質させてしまう。この事件をきっかけにして、敬志と氷見の運命は大きく変わることになる。

やがて第2次世界大戦が勃発。
志摩は、氷見には秘密裏に出産した彼の子供・未生を敬志に託す。それと時を前後して根津が殺され、氷見に容疑がかかる。三方の手によって氷見は満州へ逃亡するが、そのことが発覚して、三方も前線に送られる。京都帝大に進学した敬志もまた、卒業を目前に出征する。

氷見の消息は知れぬままに時は流れ、終戦から1年後、敬志は満州から引き上げてくる。
母に育てられていた未生は7才になっていた。
大学への復学を決めて町から去る決心をした日、敬志は思い出をたどって氷見の住んでいた屋敷へ向かい、無残に荒れ果てた屋敷で思いがけず氷見との再会を果たす。彼の頬には大きな傷が刻まれていた。傷にふれてくる敬志の指先に癒されていくような気がして、氷見は初めて涙を流す。
だが、氷見が求めたのは心中だった。それは敬志にとっては、失敗は許されない2度目のチャンスに他ならない。腹に短剣を突き立てながら、その時敬志は氷見への愛を確信する。

氷見の手により運ばれた病院で敬志は命を取り止めた。
雪のふる窓越しに見つめ合い、呼び合う二人の心を感じながら、しかし氷見は去っていく。
いつか氷見が新しい自分を見つける日まで、ふたたびみまえる日を祈りつつ、敬志は未生を守っていく決心をする。


書評
ここで描かれているのは「至純の思い」です。それは氷見と敬志の関係だけでなく、氷見を庇護してゆく三方の思いも同じです。
大陸に渡ってから、少しずつ心を壊していった氷見が三方の向こうに見るものは、敬志の存在でした。けっして氷見が自分を見ることはなく、何れは敬志のもとに帰るだろうことを意識しつつ、三方は、氷見への精神的な思いだけで、その虚しさごと彼を守っていくのです。彼の与える清冽な愛もまた、至純の思いゆえでしょう。
汚すことで氷見を手に入れようとする根津の歪んだ思いの方が、いっそ分かりやすいかもしれません。
男と女の出会いであれば、色恋の情に走るでしょう。ここにある男同士の真情は、もっと純で真摯なものとして描かれます。そこには欲も得もないのです。
冷徹に見える、高貴なまでの潔さゆえ、氷見の魂は孤独です。彼が心を開いたときに、真っ先に見えた存在が敬志でした。しかし、敵か、味方か、という区別だけで人と接する氷見は、人を試すことでしか、相手を信用できません。
自分が追いつめられながらも、それこそ命をかけて、氷見は心を向ける相手を、だからこそ何度も試すのです。試し、試されることで、氷見と敬志は互いによせる感情を「至純の思い」まで昇華させていったのかもしれません。
次第に自由が奪われてゆく時代を背景に、氷見と敬志の心はすれ違います。互いの心を計り、探り合う、もどかしいすれ違いを、繰り返すことになります。そしてようやく心が触れ合ったとき、ふたたび別離が待っています。

人には背負って生きていかねばならない過去があります。己れの過去からは逃れられないのです。
過去と対峙するために、そして生きて行くために、氷見は敬志に背を向けます。
平坦な水面のさざなみのように、日常が積み重ねられ、事件が重なり、時代に追い込まれていく――静かな筆致が紡ぎだす、極上のJUNEストーリーと云えるでしょう。
氷見がしんしんと降り積もる雪の中を去って行くラストが、深い余韻を醸し出しています。

きっと原田氏は、深く考えて文章を構築する人なのでしょう。
美しく端整な文体のリズムで紡ぎ出される物語は、陰惨な内容でさえ、透明感のあるメルヘンと錯覚させます。
言葉の美しさに圧倒されたのか、今回は内容がうまく纏められなくて苦労しました(ってこれ感想じゃないけど、こぼしてみる)。ともあれ、文章フェチ傾向のある私は至福の時を過ごしたのでした(笑)。

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