初出・「肉体」昭和22年6月15日(第1巻第1号)/平1年4月・講談社文芸文庫/ 平成2年・ちくま文庫坂口安吾全集5 ほか。
桜の季節も間近いので、桜にまつわる作品を取り上げてみた。
桜が咲くころになると人の心はそわそわしてくる。お花見、宴会は定番メニューだし、薄紅色の花景色は入学式に必要不可欠な背景だから、どこの学校にも一本や二本はかならず植えられている。
では、人気のない山奥にひっそりと咲く桜を想像してみよう。…いや、今どきそんな贅沢は言うまい(笑)。夕闇迫る人気の途絶えた校庭で、満開の桜花を真下から見上げてみるのもいい。まるで咲き誇る桜に吸い込まれてゆくような、それでいて妙にそくそくとした寂しさや恐ろしさを感じることはないだろうか。
桜は、日本人にとってとても身近な花でありながら、儚く散りゆく命の象徴となったり、幻想的な妖しの世界を引き寄せる。ときには死体まで埋めちゃうもんね。
さて、桜の森の満開の下にはなにがある?
主人公の山賊はむごたらしい男だったが、満開の桜に漠然とした恐怖を抱いていた。ある日、攫ってきた絶世の美女の命ずるままに女房たちを殺し、女にかしずいて暮らしいてたが、女の願いで都に移住する。女は人間の首遊びに熱中し、女の言いなりに男は首狩りするようになるが、退屈した男は山へ帰ろうと決意する。
女を背負って桜の森の満開の下にくると、女は鬼に変わり、絞め殺すと元の女だった。女の死体は花びらの中に消え、女を探して花びらを必死でかきわけているうちに、いつしか男は孤独を認識し、虚空に消え失せた――なんとも不気味で、もの悲しく、そして美しい、幽妙な物語だ。
この作品は「です、ます調」の説話形式で書かれており、その文章の持つリズムゆえに、たゆたゆと事象の中を流れてゆくような感覚がある。そして、その独特の雰囲気に呑まれたまま読み終え、ふと気づくと、作品の持つ狂的な部分が鮮烈な印象となって迫ってくる。
幽玄の中に描かれているのは「絶対の孤独」。桜の森の満開の下の鬼は、その孤独の化身と思われるが、研究者によっては非情の美を描いたものとも言われているらしい。
でも、そんな面倒なことは置いといて、安吾の描き出す透明な美や狂気――ぶっちゃけて言えば、エロ・グロ・ナンセンスの美学(きゃっ石投げちゃいやん)――なんて春の宵に味わってみてはいかがだろうか。
ところで桜といえば、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」で始まる『桜の樹の下には』も有名だけど、こちらは梶井基次郎氏。いつだったか「日経」のコラムで間違って書かれていたから(後に訂正していた)、勘違いしやすいのかもしれない。こちらもエロ・グロで尚美しい。
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