カヴァフィス(Konstandinos Petru Kavafis) 


1863年エジプト、アレクサンドリアにて、裕福なギリシア商人の子として生まれた。
英語を母語として育ち、仏語、現代ギリシア語も堪能。古代ギリシア語、アラビア語、ペルシャ語、トルコ語などの方言まで知っていた。詩は現代ギリシア語で書かれている。無論、私は日本語で読んだ。
丸谷才一氏によると、
彼は本国のギリシアでは軽んじられていたが、イギリス文壇に注目され、名声を確立。
もともとイギリスで教育を受けた人で、アレクサンドリアに滞在したイギリス作家と親しかったせいもあるが、本質的には、彼の詩の古典主義的な骨格、劇的で論理的な効果、口語的な自由な語法が、イギリス文学の伝統およびその新しい展開と一致していたため、らしい――が、よく分からん……。








カヴァフィス全詩集 (1991年 みすず書房)


たぶん「詩」というジャンルはマイナーなのだろう。それでもご紹介したい作品がある。
この詩集の訳者、中井久夫氏は本書によって第40回読売文学賞を受賞しているお陰で
この素晴らしい作品が読めたのだと考えると、ありがたいことである。

以下は選考委員の評より――

中井久夫さんの訳のせいで、わたしは、なるほどカヴァフィスの詩はこういう息づかい、こういう色つやであったのかと、ずいぶん納得が行った。医学者が専門の業績をあげながら、これほど質の高い文学的作品を発表する。そのことにわたしは畏敬(いけい)の念をいだいた。選考委員のほとんどすべてが絶讃(ぜっさん)を惜しまなかった訳詩集である。
殊に男色をあつかった詩がすばらしい。
河野多恵子さんは、「この本は大事に取って置きます」と言い、安部公房さんは、
「こういうのを詩というんだよ」とつぶやいた。その本当の詩が、現代ギリシア語から日本語へと、まことにみずみずしく移されたことを喜ぶ。
この、言葉の祝祭は、現代日本の詩に対する最上の刺戟(しげき)となるだろう。

――とのことだが、ギリシア語も英訳の作品も読んでいない(読めない)から、分からん。つい
でに白状すると、私は詩を国語的に解釈するのは苦手だ。
時折、一編の詩から作家を解体するがごとく奥深く分析するエッセイなどを読むと、「ほう!
そういうことだったのか」と思う。こんな難しいことを言葉にできる人たちがいるなんて、本当に
凄いことだとひたすら感心している。
だから、そーゆーことは専門家にお任せして、私は、もやもやと感動したり、たゆたゆと身を浸していたい。

この詩集には、古典アテネの賛美あり、ギリシア没落への嘆きあり、エジプトを風景あり、自
身のささやかな引退を願った詩もある。それらは彼が生まれたアレクサンドリアのギリシア系
住民であることと密接に関係しているのだが、ま、それは置いといて、男色詩、である(笑)。
訳者のお陰でもあるのだが、とにかく言葉が色っぽい。そして、この時代にして驚くほど大ら
かに(あからさまに)男色を謳いあげている。
文章フェチ傾向のある私など、もう〜〜うっとりー。詩は、気持ちよく楽しめればよいと居直っ
て、煩悩を掻きたてている。
妄想ふくらむ(笑)詩を何編かご紹介させていただくが、機会があったら、ぜひ図書館などを利
用して味わっていただきたい。妄想の秋に最適ではないだろうか(笑)。







1901年の日々                    
           
奴が他の者とちがっている点は
ありとあらゆる放蕩にもかかわらず、
ものすごく広汎な性体験にもかかわらず、
それにふだんの姿は年相応だけど、
にもかかわらず こういう瞬間がある、
むろんごく稀だけど、つまりあいつの肉体が
ほとんど童貞って感じがすることだな。

あいつの二十九歳しいう年齢の美、
快楽に磨き抜かれた美、
ところがふしぎに時にはするんだなあ、
少年って気が、どこかぎこちなく、
からだをはじめて愛にゆだねるきよらかな子って気が。





没入した                        
       
おのれを縛らなかった。完全に没入した。
快楽に、半ばは現実だが
半ばはわが脳裡のくるめきである快楽に。
きらびやかな夜に没入して
強い酒を飲んだ、
快楽の英雄のやり方で。





絶望して                               
あのことはすっぱり切れた。彼はなんとかして
あの子の唇を手に入れようとした、新しい愛人を得るごとに、その唇から。
新しい愛人ごとに、新しい身体を抱くごとに、
ああ、これはあの子だ、と思おうとした。
私が今身体を埋めているのはあの子だと――。

あの子とはすっぱり切れた。初めからないことみたいに。
あの可愛い子が言った、ぬけでたい、この泥沼から、
この性の喜びの病みただれた、しみのついた、けがれた形から。
この性の喜びの恥多い、汚れけがれた形から
今ならまだ間に合う、ぬけだせると言いおった。

あの子とはすっぱり切れた。初めからないことみたいに。
彼はまぼろしを呼び出し、幻覚をかき立て、
ほかの若者の唇にあの子の唇を思おうとした。
もう一度あの子とのような愛欲を味わおうと、じれた。






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