吉原理恵子(よしはら りえこ)


小説JUNE2号『ナルシスト』でデビュー。双子の兄の、死してなお弟を支配する狂気を書いた作品。『ナルシスト』というタイトルどおり、兄の弟に対する凄絶な執着は、短編ながらその後の「別冊ぱふ」にて「執着心を描かせたら天下一品」と言わしめた吉原氏の傾向を示している。
私は鬼畜は好きだけど下品なのは苦手だ。しかし吉原氏の描く、確信犯的エゴイストな鬼畜ぶりは妙に愛しい。
そして、エゴイスティックな鬼畜の対なる「受」は男としての矜持を失わず、ぎりぎりの所で持ちこたえもするし、開き直りもする。ある意味、懐が深いともいえるかもしれない。
「ねっとり」と「濃く」「リアル」な男たち――間違っても「女の子な男の子」は書かない作家である。人間同士の矜持を賭けるようなぶつかり合いを苦手としない人ならば、必読の価値あり。シリアス、コメディとあるが、ハズレはないと思う。
代表作として『間の楔』『幼馴染み』『渇愛』『二重螺旋』など。


間の楔
銀のレクイエム









間の楔(あいのくさび)  『小説JUNE』1986年NO22〜27号連載/1990年 光風社出版
2001年 文庫化 「間の楔 帰って来た男 1〜3」

――完全に堕ちた。


内容
中枢的人工知能 ユピテルが創り上げた人間が支配する近未来都市タナグラ。その歓楽都
市ミダスの第9エリア ケレスは、かつてユピテルに反旗を翻したものの、圧制された地区だ
った。住民は市民権を剥奪され、スラム化して最下層に喘いでいる。
そのケレスに、リキは居た。不良グループのヘッドである彼にはカリスマ的魅力があり、気性
の強さ、決断力、それでいて彼の容姿は男たちをもそそる色香をそなえていた。
人間はペットとして交配され育成され、性の奴隷として売買の対象とされるタナグラに
あって、生命の誕生も性別も中央に統制されている。そのため、めったに女の姿のないケレ
スでは、男は男の性の対象でもあったのだ。

一方、ユピテルの創生した人間の中でも支配階級にあり、ブロンディと称されるイアソン・ミン
クという男がいた。
ユピテルにあってイアソンは、完璧な知能と怜悧な美貌を持つ誉れ高き人工体であった。
偶然の接触からイアソンはリキを愛玩物として飼いはじめる。
支配を拒否しながらも快楽におぼれるリキ。
ブロンディであるイアソンがスラムの雑種をペットにしたのは、ほんの一興であったはずだっ
た。だが、イアソンはやがてリキを愛するようになる。
エリート人工体が持ち得ない感情――下等な感情として蔑むべき情愛を持ってしまったイア
ソンは、決して心を許さないリキに対し、いっそう執着心を深めてゆく。

そんな中、リキの仲間であり、かつては恋人でもあったガイは、リキをを取り戻すために、イア
ソン=絶対権力に立ち向かっていく。そして運命は、大きく変わってゆく――。

書評
今さら説明することもないと思うのだけど、言わずと知れた(一部では伝説ともいわれている
が)JUNEの大作。SFとJUNEを結びつけた画期的な作品でもあった。
この作品は当然ながらフィクションである、なんて改めて言うと失笑を買うだろう。なんといっ
ても設定はSFだ。夢物語にすぎない。
だが妙に生々しく、リアルなのだ。すべてを凌駕してリアルなのだ。
つまりリアルとは、それがフィクションなのかとか現実なのかが問題ではなく、皮膚感覚ある
いは身体感覚に迫ってくるもの、魂に訴えてくるものであれば、それがリアルなのかもしれな
い。
もちろんそれは、世界感や人物描写、濃密な心理描写が丹念に描かれているからだ。
同性同士の行為も含めてJUNEとか耽美いう架空と世界に、生身の匂いをかぎつけた作品
だった(笑)。

完璧なる人工体イアソンが本来持ち得ないはずの情愛を、「不完全な人間」リキに抱くという
設定の妙味もさることながら、互いの屈折した行動の中に赤裸な情感が見え隠れして、やる
せなく切ない。

生身と人口体。ペットと主人。
そういう歪んだ絆でしかつながっていられないふたりであった。

支配する者と服従せざる者――それぞれが己の所属する世界に蹂躙され、翻弄されながら
もひたむきな生き様は濃厚な存在感を読む者の心に刻みつける。
また他のキャラクターも、それぞれの抱える背景を丁寧に描き、重い哀感を醸している。

セックスシーンが濃厚なのはいつも通り(笑)。だが、冷たい刃物を突きつけるような硬質な
文体が甘ったるさを払拭し、作者特有の乾いたロマンティシズムが一層際だっている。

ふたりで底の底まで堕ちたなら、何かを共有できないかと……
たぶん、それが空しいあがきだとは知りつつ、結局、その捨て場所は、
唯一リキのアヌスでしかないのだった。

偶発的邂逅から始まって、尊厳(プライド)や情愛、執着に悶え、苦悩しながら、彼らはその
先にあるものを求めて足掻く。
ラストに向かって醸し出される緊迫感。そして物語は衝撃的な終焉を迎える。
ハッピーエンドではない。
だが、余韻ある結末が語られ、それゆえにくだんの顛末が胸にせまり、「間の楔」というタイト
ルがまばゆい光彩を放つのである。
今読んでも肌が粟立ち、鼻の奥がツンとしてしまう心に残る傑作である。

尚、続編として「ミッドナイト・イリュージョン」(光風社)が出ている。









銀のレクイエム 1993年 角川書店ルビー文庫

魂の半分を引きちぎられては、生きてはゆけぬのだ……


内容
キラは、ジオの国の若き帝王ルシアンの寵愛を一身に受ける小姓だった。しかし誤解から生
じた陰謀によって帝王の逆鱗にふれ、国を追放される。
それから二年後、ぬけるような蒼穹が広がる五の月(ル・ナン)に、キラはたった一つの望み
を胸に、懐かしい故郷に帰ってきた。
詩謡い(リューン)に身をおとしたキラは心ならずもルシアンと再会する。深くキラを愛するが
ゆえに、歳月を経てもルシアンの憎悪は激しい。だがキラは何も語ろうとはしない。
絶望の果てにすべてをのみ込んで、ようやく生きてきたキラだった。憎悪を浴びながらも、キ
ラの身のうちにはルシアンへの恋慕の情が静かに燃え続けていた。
そしてまた、キラの、あまりにも清廉な様子は、ルシアンの怒りをさらに煽り、また陰謀に関
わった者たちに一生消えぬ烙印となった負い目を疼かせる。

だが遂に、ルシアンは真実を知る。
キラを追い詰めた自分の愚かな裁量、惨い仕打ちに苦悩するルシアン。そして身の内に息づ
くキラへの変わらぬ愛に気づいたとき、すでにキラの余命は少なくなっていた。
甘い言葉を交わすこともなく、だが、つかの間の穏やかな時を二人は過ごす。
キラがジオに戻ってきたたった一つの望み――ナイアスの花吹雪をもう一度見たい――を果
たすように死を迎える。最愛の者を失ったルシアンは……。


書評
本書の後書きにもあるが、絡みつく情念を得意とする吉原氏としては、ちょっと珍しい「少女
マンガ」風の叙情的作品だ。
熱い。熱くて痛い。そして静寂がある。もう、魂もっていかれ状態である。
久しぶりの再読だったが、心の奥にある自分でも気がつかないところを刺激されたというか、
乙女心を突かれたというか、これこそが「愛」だとなんだか嬉しくなってしまった。
ある意味ではきわめて日本的で古典的な物語かもしれない。
感傷的な作品をてらうことなく、研ぎ澄まされた言葉が心を揺さぶり、これはもう、吉原氏の
魔力に圧倒されるしかないってもんである。

ルシアンの激しい憎悪を投げつけられ、晒し者にされながら、なお沈黙を続けるキラの姿が
切なく心に染みる。

 この世では成就できなかった、最初で最後の恋――――
 ナイアスの花吹雪が見たくてもどってきたのか。それとも、ルシアンに忘れ去られた
まま逝くのが辛かったのか。
 もしも、憎まれることで、帝王の胸に生きた証が残せるのならば……。そんなバカな
想いが、頭のへりをフッとかすめて消えた。

ラスト――死してなお、キラはルシアンとともにある。
キラの静かに満ちてくるような愛に対し、激情ともいえる愛を持て余す活火山のような男の、
命そのものへの抱擁。
私がこの物語に泣けるのは、自分を恥じ、激しく人を恋う、その内にある魂のあり方があまり
にも激烈で、あまりにも初々しいからだ。
愛とは、かくも残酷で、でも揺るぎなく美しい。
そして、厳しい恋を描きつつも、吉原氏の筆は決して熱くならない。落ち着いた端正な語り口
の奥で、しかし静かに燃えている。

模範的な主人公たちによる模範的な物語に、みえみえのハッピーエンドまでつきあうのもい
いけれど、時には心の大掃除をかねて、こんな美しく切ない物語に浸ってみるのも悪くない。







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