北京故事 藍宇(ランユー) | 北京同士(ペイジンドンチー)著 |
「僕はもう後戻りできない!」
2003年10月/講談社発行
恋とは何なのか、人はなぜ誰かに惹かれずにはいられないのか……。
陳悍東は遊びのつもりだった。そして藍宇はそんな男に心惹かれた。二人の出会いは一時の快楽――SEXだった。
恋とは、しばしば肉体的な快楽より上位にあるもの、精神的な領域であり、神聖な結びつきを象徴するものとして使われる。この作品はSEXから始まる恋を描きながら、けっしてうわべだけではない、生々しいありのままの「恋」の姿を描いている。
裕福な陳悍東にとって恋の物差しも金銭にあった。それゆえ、藍宇が純で真摯な恋情を抱くからこそ、彼の経済的援助を受け取らないことが理解できない。
互いに思いやり、心惹かれながら、二人の気持ちはすれ違う。
作品は捍東の視点から、陳悍東と藍宇の二人の出会いから、それぞれの生き方、そして終章まで丁寧に点景を描いていく。
遊びのつもりだった捍東がどんどん藍宇に惹かれていく様子や、一方では「男」として社会的な役割(結婚して妻子を持つ事)が重要であるというジェンダー に捕われていること、「自分はゲイである」という事実を、彼は少しずつ受け入れていく。また、藍宇がステレオタイプのホモセクシャルではなく、男としての矜持をしっかり持って成長ていく様子を丹念に綴っている。
恋に対して藍宇はあまりにも純粋だ。一途で、しかも相手の負担にならない軽やかさを持った藍宇の愛。全てが浮ついて不安定なこの時代に、こんなにも熾烈な愛の形は鮮烈でさえある。
| 「あなたは麻薬だ。手を出しちゃいけない、そしたら一生をだめにすると
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真摯に愛するという事、愛されるという事――その恋情や切ない息づかいを鮮やかに描いた一級品のラブストーリーだ。そして読み終われば、胸に残った切ない余韻を大切に抱き締めたくなる。
この作品には凝った設定や、斬新なアイディアはない。異性でも同性でも、人を愛する心は同じだ。使い古された言葉だけど、愛の形はさまざまだし、障害があるほど恋は燃える。陳悍東と藍宇の恋愛は、たまたま好きになったのが同性で、同性愛が認められない中国に生きているから障害が大きいだけで、あとは至って普通の恋愛だ。
しかし、同じ設定を使って安っぽくなる作品もあれば、心に染み入る作品もある。『藍宇』はそんな深みをもった作品である。甘々ハッピーエンド全盛のBL界だが、その今どきの乙女たちはこの小説をどんな風に捉えるのだろう。
以下余談。
さて、映画版と原作との違いだが、丁寧に作られた映画で感動作ではあるが、当然さまざまな制約もあるのだから、やはり原作と相違はある。
原作では陳捍東は自分を同性愛者だとなかなか認められず、その葛藤が深い。また当時の中国の社会的政治的背景も描かれているが、映画ではそのあたりはあまり深く描かず、天安門事件を、藍宇に対する愛を捍東に強く意識させる背景とするに留まっている。登場人物たちの心の揺れ動きも原作の方が振幅が大きく、映画では厳選された台詞や映像で沁み入るように描かれている。原作と映画を見比べる…そこにはまた違った感動が待っている。
尚、個人的には映画を見てから書籍を読んだほうが、二人の関係が深く積み重ねられている分、この恋のひたむきさにより感動すると思う。
また、ネット版と書籍版との違いだが――ずばり、ネット版はポルノだ。もともと18禁ゲイサイトで連載していたこともあって、一章に(最低)一度は「做愛」場面が入っているし、微に入り細に入り描写されているらしい。私は中国語の微妙なニュアンスが分からなくて途中で挫折したけど、漢字が分かればなんとなく分かるもの。[こんな感じ↓] でも山藍紫姫子氏の作品に馴染んでいると、なにほどもものではないかもしれない(笑)。
ちなみに、ゲイは中国語で「同志」というスラングになる。だから作者名を和訳すると「北京のゲイ」だが、実は作者は女性なのだそうだ。
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