赤江 瀑(あかえ ばく)


作者略歴
昭和8年(1933) 下関生まれ。日本大学演劇科卒(中退としている文献もあり)
昭和45年「ニジンスキーの手」で小説現代新人賞受賞。
昭和48年「罪喰い」、昭和50年「金環食の影飾り」で直木賞候補。
昭和59年「八雲が殺した」「海峡」で第十二回泉鏡花賞受賞。


 オイディプスの刃
 獣林寺妖変






「オイディプスの刃」1974年 第一回角川小説賞受賞作品
                  2000年.角川春樹事務所/ハルキ文庫より再販。

彼は、少し苦しいと言い、苦しいことはおれは好きだ、と言った。


内容
ここに一本の日本刀がある。
大迫家の三人の兄弟、明彦(あきひこ)、駿介(しゅんすけ)、剛生(ごうせい)。
彼らの許に父親から、かの日本刀が残された。そして母親からはラベンダーの香りの記憶が残される。鮮烈な危うさをかかえながら三人はやがて離散したが、次男の大迫駿介の脳裏からは、どうしても消すことの出来ない一人の男がいた。
辛酸な、日射しの奥を透かし見るような追うような、眩しげな、そうして少し苦しげな眼を持っている男。名を秋浜泰邦(あきはまやすくに)と言った。
彼は、日本刀の研師であった。一年に一度、備中青江派の中古刃物『次吉』を研ぐために泰邦は大迫家を訪れて、五年目の夏、眩しい真夏の大迫家の庭で、泰邦は激しい謎の死を迎えたのだった。
遺体だけが残されて、誰が泰邦の腹を割いたのか、肝心な所は謎のまま時は流れ、三男の剛生は消息不明となり、長男の明彦は母の面影を辿って若手の調香師となった。
そして憑かれたように泰邦の影を追い求める次男の駿介は、京都は木屋町で、男を相手に水商売に身を沈めてゆく。そんな彼らの前に突然現れた辣腕の調香師は、眩しい母の面影を持っていた。
大迫家の過去の秘密の部分、いったい誰が泰邦を殺したか、を知っていたその男は、永い間行方の知れなかっ弟の剛生であった。
悲劇的な決意を秘めて『次吉』を手にした駿介は、伐るべきものを伐るために、京都の雪の夜を走り抜けるのであった。
伐るべきものとは、泰邦を死に追いやった全てのものであった。それは兄であり、叔母であり、そうして手の中にある日本刀と、自分自身であった。


書評
世の中には、見つめるしかないひと、という存在がいる。
せつないくらい息をつめて、わずかな心の動きさえ見逃すまいと、見守るしかない、真摯なまでに見入るしかすることのない、少しの可能性をも許さない相手というものが確実に存在するのだ。
それは大迫駿介にとっての泰邦である。(言っておくが、そこにいっさいの肉体関係は介在しない。何故なら駿介は泰邦のうえに、母親を通して明らかに父性を見ているからである)
そして油断すれば、隙間から際限なく漏れてゆくなにか、目の前で壊れていくものを見つづけなければならない程、深いものはあるまいと思う。

ここにある悲劇を語るときに、往々にしてそのさなかにいる人物はその悲劇性に気づかないことがある。
彼らは気づかぬゆえに自分を守ることが出来る。守られなかった者は墜ちてゆくしかない。
そうして物語がすべて幕をひいたあと私が案じるのは、木屋町で大迫駿介が経営していた店の、バーテンダーのツトムのその後である。話の上ではほんの些細な役回りであるが、ここに赤江瀑作品の果ての無さを見るような気がしてならない。
駿介が泰邦の影を追ったように、ツトムも駿介の視線を振り切ろうとして振り切れないまま引きずりながら生きてゆくのではないだろうか、と。この先もずっと、と。
なにもかも、終わらないのである。いや、最初からすべてが終わっているといえばよいのか。

物語のラストで、『次吉』は血を吸って雪のふる天を映していたという。
はっきりとそうは書かれていないが、駿介のうすれゆく記憶のなかで、ツトムは慟哭しているのである。ツトムは雪のなか、走り抜ける駿介を追ってきてに違いない、そうして全てを伐りおえた最後の瞬間に、駿介に追いついたに違いないのである。
『次吉』はツトムの手に拾い上げられたと見てよいのである。あの『次吉』が、今度はツトムを魅惑しないとは誰に言えよう。ツトムにとっての駿介が、駿介にとっての泰邦でないと、誰が言えよう。

以下、余談である。
タイトルにあるオイディプスとは、ギリシャ神話のテーバイの王子である。父を殺し母を娶るという神託を恐れて、父王に捨てられた息子を指している。
これは父と息子との物語ではあるが、この作品において三人の息子たちの立場は、それぞれに違っている。
つまり長男は父の血を引き、次男は母の血を引く連れ子である。そして三男の剛生だけが、父母、両方の血を引いている。その微妙な立場の違いが、三兄弟のいわゆる三すくみ状態を生んでいる。
明彦は血のつながらぬ母に憧憬を抱き、剛生はそんな兄に激しい反発を感じるほどに兄と同種のものを抱えて
いる。そうして物語の語り手、駿介はといえば、母と密通しようとした泰邦を許しその影を追うことによって、血のつながらぬはずの父にどんどん近くなっていったのだ、といえぬだろうか。
(栗原夏洋 記)


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「獣林寺妖変」1971年8月 講談社

血天井は、消え去らぬ人影の棲み家である。


内容
獣林寺は、血天井を擁する禅寺である。
この寺で、ある科学調査が行われたことから物語は幕をあける。調査の結果、古いはずの人血の中から、強力なルミノール反応を持つものが現れたのである。つまり死後一ヶ月程とみられる新しい血痕が、武士たちのそれに隠れて、天井の角の方でひそかに息づいていたのだ。
努(つとむ)はその山寺の庭にひとりただずんで、最後に見た崇夫(たかお)の姿を思っていた。努は歌舞伎俳優である。大学専門部卒業と同時に歌舞伎界入りした、言葉は俗だがいわゆるコネのない「カレッジ俳優」である。四年目にようやく一本立ちして名題役者の仲間入りしたものの、外の世界から飛び込んだ彼に、本興行でほとんど役らしい役がつくことはない。そういう世界である。崇夫も努とともにそんな道を辿ってきた同志だった。

だが、と努は思い返す。崇夫の方は努とは違う道を選んだのだった。
崇夫は名題役者のプライドを捨てて『明木屋』の門を叩き、部屋子となる。
それは彼にとって独立の道を捨てることであり、長い葛藤の道の入口でもあった。
徒弟組織のなかで、『明木屋』の部屋子でありながら、あくまで『乙丸屋』に固執する崇夫への周囲の軋轢があらわになったからである。なぜ崇夫がそこまで『乙丸屋』にこだわったのか、それは『乙丸屋』だけがいわば魔の世界を持っていたからだといえる。

女形だけが歌舞伎の魔の中心に近づけるんだ、俺はこの眼でそれが見たいんだ、あの光の中心に、あのまばゆいものの真ン中に何があるのか、どうしても知りたいんだ、と崇夫は言った。そして、彼はいきなり歌舞伎界から消えた。消えるはずのない熱情であったはずだのに、崇夫は見事に痕跡を残すこと無くいないなってしまった。
「この血天井のなかに、女の流した血があるのだろうか?」という言葉を努に残したまま。

努は駆り立てられる。彼は獣林寺の血天井の下で、新しい血痕を見上げていた。
あの血痕は崇夫のものではないのか、と。そして彼は、崇夫の後を追わざるを得なかった。
努は『乙丸屋』の愛人たちを追い、彼らの身体の中に、愛撫の内に『乙丸屋』の魔を求める。それは皆、行方をくらます前に崇夫がなしてきたコトだった。大命題である『乙丸屋』にたてつく行為、崇夫にしても努にしても、役者生命を賭してのことだった。
やがて『乙丸屋』が立ち上がる。魔に魅入られて、努も立ち上がった。


書評
JUNEには負の部分が多くある。
男と男が身体でつながっていりゃJUNEだ、と思われるむきには無理に反論しないが、大きく言えばこの物語はJUNEというよりも、負けゆく者たちの「負」の話である。
それははじめから当人たちにだってわかっている。実は勝ちたいなどとは思っていないらしい。そしてどうあがていも勝てないと判った時に、どのように負けようかという問いかけは生きつづけている以上、避けることができない命題であると思うのだ。

時として、勝ったはずが負けたとしか思えない虚しさを覚えることもあろう。そしてここに展開される崇夫と努の負け方は、極めて対極的のように見える。負ける者たちの話はどうやって彼らが負けていったのか、そのあたりが描かれないとまるでお話にならないのだ。ここいらは氏の得意分野であり、秀逸である。そして勝ち負けにまるで関係ない場所で育まれるものが、どんなに魅惑的に映るかを赤江氏は流暢に語る。
月並みな言い方をしてしまうと、歌舞伎に限らないが芸術芸能の世界ほど「平等」やら「公平」という言葉が空洞化するところは他にないと私は思う。
実は平等というのは厄介だ。何を以って平等というのかを語れば尽きることはないが、形状としてのイメージに結び付ければ、つまりは「ひらたい」ということだろう。起伏がすくないことは人間全体の秩序の維持にとってはよいことだが、秩序は時として無感動である。

そして血天井のすみで、強力に光をたたえた二つの血痕といえば、武士たちの秩序だったそれに混じって現世を見据える野獣の双瞼として登場する。けっして無感動ではありえない。それは時として永く越えて、魔の混沌からじっと息を殺し、声もない私たちの秩序に牙をむくのだ。

そして『乙丸屋』はといえば、その高みにありながら密かに牙を研ぐ、得体の知れぬものの象徴である。作者はその高みを「神通力のようなもの」と比喩している。
そんなものに勝ち負けがあるとしたら、それは表に出ることなく静かに結論づけられてしまう種類のものであるに違いない。ひとは生きていくうえで、際限なく勝ったり負けたりするものだが、あのひとが勝った、あるいは負けた、と周囲から観て簡単に判る種類の勝ち負けは、実はそれほど大きな勝負ではない。問題は本人しかわからない勝ち負けである。そういう勝ち負けは、ひとの命を左右する力がある。努と崇夫を見ていると、そうとしか思えない。

行方をくらました崇夫は、すでに物語にその生身をさらすことは無い。彼の生身とは、男に組み敷かれている女のそれである。
崇夫は努の記憶のなかでのみ生きており(ひとは往々にしてそうである)、失踪のその理由についての決定的記述は一切なし。あくまでも努の推測のなかで、熱情的に結論が語られるに過ぎない。

だから、というわけでもないのだが、崇夫がなぜ乙丸屋の部屋子にならなかったのか? という疑問は否めない。彼は『明木屋』じゃあなくて『乙丸屋』に弟子入りすれば何も問題なかったんじゃないのか、と思う。なにか事情があったのかもしれない。おそらくあったはずである。しかし、そのへんを知らんふり(?)して通りすぎるあたりの強引さは唯一気に食わない。
などと、まるでどこかの辛口映画監督のように思うこともあるのだが、その疑問は乙丸屋の神通力の前では、途端に色褪せてしまう。
そこで読者(私)は気づく、これこそが魔の正体だと。私は今、魔に見入られているのだと。なんちって。(栗原夏洋 記)



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