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加門七海  かもん ななみ


■ 常世桜
  呪の血脈 






科戸の風の天の八重雲囚われの媛神
2004年2月/発行 ソノラマノベルス(朝日ソノラマ)


日本神話を下敷きにした伝奇。
十朱春夫は、大学の友人に誘われるままに足を踏み込んだ禁域で、「媛神」を解き放ってしまう。十朱と同化した祟り神とは思えない媛神の儚さに、彼は次第に庇護欲を抱くようになっていく。媛神は、自分の父母神を追い求め、十朱は心の中から聞こえてくる切ない叫びに応じて、封じられた異界への扉を開けるべく動き出す。
一方、媛神の解放を察知した修験で飯綱(イズナ)使いの澄影、神を封じた山を守ってきた一族の当主・御室忠行、ゲイバーに務めている裏綯い師(ウラナヒ師)の繰羽加賀彦、フリーライターの気綯い師(ケナヒ師)である羽鳥暁彦らが、媛神を封じに、あるいは守りに現れる。幼い媛神の願いを叶えようとする者とそれを阻止する者の攻防とその葛藤。
媛神の父母神をも解放した時、古代には当たり前であった恐ろしい現象が復活する。様々な想いが交錯する中、神をめぐる激しい戦いが始まろうとしていた。

古の封印を巡る伝奇物で『呪の血脈』同様信州を舞台としており、封印を誤って破ってしまうことから始まり再度封印することで終るのであるが、読後感は全く異なる。

古代の物部氏と蘇我氏の戦いに秘められた真相が、現代の若者の軽薄な行動がきっかけで明らかになっていくという筋立てが魅力的。また、封じようとする勢力と媛神を守ろうとする勢力の、どちらが正しい選択なのか、2つの勢力が対立しつつ、だが作者の視点が中立にあるあたりも、安直ではない展開で読みごたえがある。
神という次元を超越した存在の前に、人はただ生かされている。だが生きている以上、人間は立ちすくんでばかりいられない。それは誰のために生きるのかとか、何のために生きるのか、さらには、いかに生きるのかという根源的な問題をも考えさせられる。人は、未来に繋がる不安を抱きながら生かされているのだろう。

主要登場人物は多いが、自身の視点と他の登場人物の視点で丁寧に語られており、神のために排斥されてきた血統に続く者たちの悲しい定めの描き方も繊細で作者らしい。手に汗握る攻防とその戦いを裏付ける呪術、伝説などの知識にはいつもながら圧倒されるばかり。
そんな仕掛けの上に配置されたキャラクターたちが秀逸。特に「裏綯い師」の役割を担わされたカガリこと加賀彦の女装癖すら、ちゃんと意味を持たせているのだが、カラスからインタビューをとるフリーライターや、長年山に籠っていた飯綱使いが、服の知識はあっても靴の知識がないためにスーツに草鞋の美女が神保町に出現するなど、重くなりがちなストーリーを軽快に味つけしている。

だが少々物足りなさを感じるのはなぜだろう。それは、たとえば異能の者を排斥してきたのは当時の大和朝廷なのだが、この物語が裏の力のみの描写に止まっているためかもしれない。そのために世界を巻き込むような戦いが対個人の戦いに収束してしまっているような気がする。または、登場人物のほとんどが理性的で、底に秘めた懊悩や、宿命ゆえの狂気が感じられないためかも知れない。
もちろんエンターテインメントとしては高い水準にある。でも、加門七海氏ゆえにそれ以上のものを求めてしまうのが、欲張りな読者なのだった……ごめんなさい。






環蛇錢 かんじゃせん
2002年5月/発行 講談社


俗学色満載の伝奇ホラー。今回のお題は八百比丘尼。人魚の肉を食して不老不死となったという伝承の尼さんである。

修の友人、裕一が死んだ。だが荼毘にふされた時、その骨ひとつ残さず消えてしまったことが不審だった。その裕一の名を名乗る浮浪者の老人が修の前に現れる。
裕一と名乗る彼は、ある古墳で手にした古銭の呪を受け、老人の体に自分の心を移しかえられたのだと告げる。疑いつつも、修はその古銭を持ってコイン商を訪ねる。その古銭に関心を持った若いコイン商・佐伯は、この銭のふちに刻まれた二匹の蛇がたがいの尻尾を食べあっているデザインに着目する。伝説や故物に造詣の深い佐伯は、この古銭を手に入れた古墳と、その古墳を護っている神社に祀られているという八百比丘尼との関係、さらに不死の存在といわれる常陸坊海尊の伝説との関連を語り始める。
そしてついに、裕一の姿を持った別の存在が修の前に現れる。修も佐伯も古銭に触れている。古銭の呪いは生きているのか――その呪から逃れる術(すべ)を探して、彼らは不死伝説の謎を追う。

伝説や呪に対する深い知識はいつもながら薀蓄満載で、ただただ感嘆するばかり。
肉体を交換しながら生き続ける魔物というのはありがちだが、若者言葉を吐く70過ぎの老人にはなんとも気持ち悪い違和感があるのだが、逆にその不自然さがストーリーに不気味な影を落としている。
呪など信じられない超現実主義の主人公が、ひたひたと忍び寄る呪の影におびえ、やがて否定しつつも引き込まれていく様、さらに佐伯という男に胡散臭さを感じながら、次第に惹かれ、頼っていく過程が丁寧に描写され、全体を引き締めている。ラスト近くのクライマックスも妖しく、それでいて迫力がある。現代人が忘れてしまったはずの真の闇への根源的な畏怖が、救いのない終末へと導かれていくように、現実をじんわりと侵蝕してくる感じがいい。

それにしても作者は、いったいどこまでいこうとしているのだろうか。凄みすら感じさせる。伝奇ホラーの傑作と言っていいだろう。
表題の環蛇とは、蛇が自分の尻尾を飲み込み環状になる様のこと。ウロボロスの蛇と同義。






呪の血脈
2002年2月/発行 富士見ミステリー文庫


土俗的な信仰をテーマに、神の定めた運命にあらがう若者たちを描いた伝奇ミステリー。
民俗学を専攻する研究生・宮地が諏訪の山奥で見たコブ付きの神木。探究心に負けて、そのこぶの中にある鎌を抜いてしまったことから「呪い」を沈める「祭り」の日々が始まる。
祭りは鹿を追い、その命を捧げて神木の怒りを鎮めることが目的だが、村の言い伝えでは、怒りが鎮めきれなかった場合は「裏」の祭りを行わなければならない。
だが、裏の祭りを執り行う一族は、その神事を嫌って村を出奔していた。それが遠因で、呪いは積み重なり、事態は複雑に絡み合う。
神木の怒りは鎮まらず、宮地が一族の末裔である高藤正哉とその妹・梓と接触したことで、「裏」の祭りへの胎動が始まる。「祭」の真の姿とは?

加門七海氏の民俗学の知識が相当なものなのは周知のごとくで、信仰や儀式など、フィクションとは思えない迫力とリアリティがある。つまり、フィクションというオブラートの向こうには、作者ならではの博識に支えられた本物があるからだ。
神についての一地方に伝わる伝承が、多くの人死にや社会的混乱が起こすことになってしまう必然性の不明が気になるところだが、「缶蹴り遊び」でだれ彼構わず指名された人間を「鬼」としてその場に縛り付けるエピソードが、やがて生け贄の選別に重なっていく様が興味深い。
「かごめかごめ」や「とおりゃんせ」に呪術的意味があったことは知られているが、「缶蹴り」にもそんな側面があるのだろうか。そのエピソードがあればぜひ読んでみたいと、伝奇好きの血が騒ぐ(笑)。

命すらかけた危うい状況にもかかわらず、正哉が目を背け続けた「裏」の祭りに彼自身を向わせるのは、血の力に他ならない。「裏」の祭りを執り行う運命を担わされた青年が、否応も無く事件に巻き込まれていくやるせなさが哀しい。
幻視描写の鮮やかな猛々しさとその美しさ、凄惨なはずの死の場面の描写の静けさ、ペダンティックに陥りがちなぎりぎりの線で踏みとどまる、不可思議な世界を堪能させていただいた。






常世桜(とこよざくら)
2002年10月/発行 マガジンハウス


伴侶のように寄り添ってきた琵琶・十六夜(いざよい)を手に三宝荒神を呼び出し、精霊や神霊と語ることのできる地神盲僧・十六夜清玄は桜の古木が植えられた坊に住んでいる。見たことはないが猫らしきものも居着いているらしいこの坊に、清玄の地神盲僧としての助力を求めて訪れる者はすでに稀だ。それでも清玄は、請われれば何処へでも出向いて行く。
六本木では人の信心を受けなくなった狛犬を救い、古い時代が舞台かと思いきや、太平洋戦争開戦直前の無残な姿をさらす鹿鳴館、更に明治時代と、作中の時間は遡っていく。
だが、時代が変わり、周囲の風景が変わっても、清玄十六夜はその時代に溶け込み、桜の古木の側の坊で暮らしている。時代の変化を否定するわけではなく、兎を飼っては世話に苦労したり、十六夜に機嫌を損ねられりしつつ、時の流れの中におっとりと身を置いている。
生きていくには苦悩や困惑が入り混じることもある。だがそんな人間臭い戸惑いが清玄の人柄を滲み出していていい感じ。
ただ淡々と生き、時代を見つめていながら、傍観しているわけでもない清玄が何者であるのかは最終話「さくら桜」で明らかになり、全編に散りばめられた事象は時を遡ることで見事に繋がっていく。
リズム感のある古文調な文体が心地よい。いつの時代にも人は自然そのものに対し、何かしら力を加え、その怒りを買ってきた。清玄が琵琶・十六夜を弾き慰めるのは、人によって痛めつけられ、救いを求める妖かしだ。清玄という法師の口を借りて、作者は人間の傲慢さを告発しつつも、その哀れさをも包容するような清玄の弾く琵琶の音を聴いてみたくなる、そんな物語である。
ただ気になったのは、漢字全てにルビ振ってあること。内容的には児童文学としても読めるのだろうが、慣れるまでは少々煩く感じるのが残念。






死弦琴妖變
2000年2月/発行 富士見書房


加門七海氏といえば、風水、伝承、神仏の世界に造詣深い。本作にもそれらの妖しげな世界が、ぎゅっと凝縮され、これでもかと盛り込まれている。その上、庶民文化の坩堝たるお江戸の町の闊達な猥雑さが面白い。

さて、時は江戸。お庭番・舘脇和右衛門は、弾けば願いを叶えるという「四大琴」探索という命を、将軍直々に賜る。
だがこの舘脇、文字通り城では植木の手入れをしたことしかないという、うだつの上がらない男である。だからこそ、初の任務にも力が入ろうというもの。今日も今日とて、琴の噂を追い、遊郭・吉原を遊ぶでもなくさまよい歩くも、生真面目で、機転もきかず遊女あしらいもろくに出来ない朴念仁の捜査が進むはずもない。
一方、江戸の町では、女の命である髪切り騒ぎという不可思議な事件が相次いでいる。
ひょんなことから見世物小屋でからくりを操る元幇間の一八と出会い、四大琴を持つという花魁を訪ねるが、頼みの彼女は、どうやら髪切り事件に巻き込まれ行方知れず。
琴を狙う死生麿と名乗る公家や、謎の紅毛人たちが舘脇たちの行く手に立ちふさがる。

本作は江戸を舞台にした伝奇ものなのだけど、きちんと考察された時代小説でもある。
浅草に上野に本所吾妻橋と、東京在住者なら馴染みのある地名を疾走しつつ、琴をめぐる争奪戦の面白さもさることながら、江戸風俗の猥雑さとオカルト・風水の博識が絶妙にとけあい、見事な存在感を出している。
さらに、キャラクターがおもしろい。
身分区分がはっきり決まっている時代である。それゆえ、個々の人物の立場も考え方も異なるわけで、例えば、館脇は武士という身分でしか物事を考えることができない。一方、町人という身分で自由気ままに生きている一八や、管理される身分である遊女たち。かぶき者のお公家さんやら、刺客である一族の色男と、それでなくても個性的な登場人物の身分も違う、思想もバラバラ。そのボタンの掛け違いのような会話が妙に可笑しい。ついでに武士言葉に江戸弁、公家言葉に花魁言葉と、いろんな言葉が入り混じり、賑やかなお江戸の町をさらに濃口に味付けしている。
吉原の花魁たちの哀しみや、琴にまつわる様々な人物が織りなす妖しき人間模様。それらすべてが渾然一体と物語に織り込まれているにも関わらず、彼らの生きている時代にするするっと入っていけるのは作者の力量ってもの。久しぶりに、ページの残りを確認しては「あとこれだけで読み終わってしまう…」と一抹の寂しさを感じつつ堪能した。

ちなみに私の一押しは、言葉こそ「おじゃる」な麿サマなのに、姿形は「仁王の化け物でも、塗り壁でも、新手の細見売りとでも」呼ばれていじけ気味だが、「○○に刃物」のごとき剣の腕前を持つ死生麿氏。ぜひ彼の続編(番外編?)が読みたい〜。でも江戸の町の人には迷惑だろうなぁ。






晴 明。【完全版】
2000年2月/発行 朝日ソノラマ


安部晴明の少年期から青年期をかけてを描くオカルティック・ストーリー。
ソノラマ文庫 『―晴明―暁の星神』 『鬼哭・上』 『鬼哭・下』の3冊分を加筆したうえで合本、完全版として出版された作品なので、嬉しいくらい厚い。もっとも京極シリーズのぶ厚い洗礼を受けた身には普通に感じられてしまうのが残念かも(笑)。

【暁の星神 】
「陰陽寮の化け物、安部晴明」――比類なき呪力と超然とした態度ゆえに、同じ陰陽寮のみならず、平安京の人からも憎悪の目を向けられる。平安京崩壊という悪夢に魅入られた晴明は、己と同じ悪夢を見たという平将門に出会う。ちまたに流布する童歌。夜毎現れ人を殺し続ける一言主。その妖魔を操っているとの嫌疑が晴明にかけられる。盲目の神祗官 中大臣能宜は真実究明に乗り出すが、妖魔はすでに内裏の奥まで忍び入っていた。
【鬼哭】
己と同じ色の孤独な魂を持つ童子が、晴明の心に棲む「鬼」を呼び覚ます。「鬼」に魅入られた晴明こそが、平安京破滅への道標となりうる存在だった。源氏の基礎を築いた満仲の野望によって京は更に混迷の色合いを深めていく。

ロジックの強い五行思想の世界の決まりごとを、一つ一つ丁寧に紡いで構築された物語である。加門氏は、繊細で精神的脆さ、危うさを持った人間として晴明を見つめている。
その卓越した異能ゆえの晴明の孤独。その孤独を知りつつ、「神」として京守護の布石となることを強要する賀茂保憲らの冷静な計算が、無残にも晴明をさらなる孤独へと追い込んでゆく。
己の中の「鬼」としての暗い本性と、「神」たる清浄なる魂との間で葛藤する晴明。もがき苦しみつつ彼が選んだ道は、京の鬼門に己自身を封じて鬼神となることだった。
――これほどまでに哀しい「安部晴明」を、私は知らない。人としての幸福も、ささやかな望みさえをも捨てざるをえなかった彼の痛みが切なくて、抱きしめたくなってしまう。
だが、誰が手を差し伸べても、彼の魂はたぶん救えないのだ。星が彼の非情な宿命を告げているのだから。

晴明の才能に嫉妬し対抗心を燃やしつつ、彼を助けてしまう賀茂保憲。見えないものが見えてしまうが故に清明の身を案じ、行動を共にする、盲目の神祗官にして風流人の大中臣能宣。晴明の理解者でありながら、闇に堕ちてしまう平将門や、決してその魂を救うまでには至らない蘆屋道満など、脇を固めるキャラクターも(邪まな妄想をかきたてられるくらい)魅力的。

読んだ順番もあるのだが、私の中では夢枕獏氏の『陰陽師』の前身として、加門氏の『晴明。』がある。苦悩と懊悩、絶対的な孤独を知るからこそ、「晴明」は夢枕氏の泰然自若とした晴明となり得たように思えるのだ。もちろんこれは個人的な妄想で、これぞ読者の醍醐味ってもの。
富樫倫太郎氏や谷恒生氏等、男性作家の描く晴明像は神がかり的なスーパーヒーローが多いが、他の作品では見られない人間の「晴明」が新鮮である。何度となく読み返しているが、女性の心の琴線にもっとも触れるのは本作だと思う。哀しい晴明の魂を抱きしめてあげたい。






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