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博士の愛した数式小川洋子

2003年8月 新潮社


久しぶりに夢中になって読んだ純文学作品である。
博士は交通事故によって記憶する能力を失い、記憶の蓄積は47歳の1975年で終わり、以後の17年間はきっちり80分の記憶しか持たない。 義姉の住む母屋の裏庭の先、ひっそりとみすぼらしい離れに一人住んでいる。
記憶は80分しか留まらず消えていくが、美しさに魅せられた数式の世界は常に存在し、愛した世界にのみ生きている。
本書は、派遣家政婦である「私」と、彼女の10歳になる息子「ルート」、そして派遣先の老人「博士」の三人によって密やかに築きあげられていった、ささやかな生活の様子を恬淡と描いている。

80分しか記憶を保つことができないということは、つまり、その日どれほど親しくなったとしても、80分経つと、博士にとってその人物は初対面になってしまうのだ。
そのため、博士を相手にする者は何度も同じことを繰り返し説明しなければならず、また何度も博士から同じようなことを聞くことである。
博士の世話をするために雇われた家政婦は、それゆえ毎朝、自己紹介をする。
生活の中で、博士は自分が心から愛している数学について、二人にいろいろと話してくれる。そして二人だけは、博士の言葉に耳を傾ける。

ことあるごとに、博士は数字を尋ねる。
それは「私」の靴のサイズや誕生日であったり、生まれたときの体重などだ。
数字は、博士にとって他人と交流するための唯一の手段であるからだ。
記憶を他人と共有できない博士は、その耐え難い事実を覆い隠すために数の話をし、数によって他人との関係を結ぼうとする。
「私」やルートも、博士にその悲しみを思い出させないために、何度でも彼の話に耳を傾ける。阪神タイガースにはまだ江夏がいて、完全数である背番号28を背負っている、という嘘をつき続ける。
互いが互いを気遣いながら、密やかに流れていく時間――それは虚実の世界でしかない。数学という約束事によってのみ守られた、脆く儚い世界だ。だが、そのガラス細工のような世界は、なんと優しいのだろう。
美しいものを純粋に愛することができる人が、その愛情をそのまま人に向ける姿を見るときに、日常の中にこそ、美しいものがどれほど多くあるのかに気づかされるのだ。

連続した時の流れにあって、80分しか留まらぬ記憶とはどのようなものなのだろう。メモによってのみ知る、だが記憶には存在しない時間。
それでも、博士には愛した世界がある。
素数、完全数、友愛数、そして数式、それらはあるべきところにある、発見されるのを待つ、静かで美しい世界なのだ。博士はその世界に遊び、その世界の言葉が語りかける。

私事だが、私には記憶が脆弱になった身内がいる。その人の新しい記憶は片っ端から消えていく。切なさと哀しさで胸が張り裂けそうになる一方、精神的にひどく疲れることも確かだ。
本書には、そんな私の肩をポンと叩いて貰ったような気がする。
博士に愛した世界があるように、誰にでも愛しんだ記憶があるだろう――たとえ過去に生きているにしても、同じ話を繰返し聞くことしかできないにしても、それがささやかな幸せに繋がるのであれば、哀しくはあっても、憐れむことはないのかもしれない。

たとえ、なにひとつ記憶を共有することができなくとも、数式は誰が解いても同じ答えを導き出す――それが、ただの「約束事」にすぎないとしても、その約束事によって支えられている大切なものが、この世界には確かに存在するのだろう。
三人の純粋な心の交感に、数学という小道具が本書の中にあるテーマを静謐に、そして、力強く引き立てている。胸うたれる上質な作品である。




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