時は江戸時代末期。清鏡神社の禰宜・川辺弓月の元を、白加巳神社の権宮司・佐伯彰彦が訪れる。佐伯家は千年以上も白加巳大社の宮司を務めてきた古い家柄。同じ神社とは言え、弓月の父親が宮司を務める小さなお社である清鏡神社とは格が違う。驚く川辺親子だが、彰彦は、清鏡神社の跡継ぎである弓月が「ゆめつげ」こと「夢告(むこく)」ができると聞いて、依頼に来たのだ。 彰彦の依頼は、白加巳神社の氏子である蔵前の札差・青戸屋の一人息子で、幼いころに行き方知れずとなっている新太郎のことをゆめつげで占って欲しいということ。清鏡神社は貧乏である。謝礼に惹かれ、弓月はその場で占ってみるが、はっきりとしたことは分からない。そもそも弓月のゆめつげ自体、少しばかりピントがずれているのが常なのだ。だが彰彦は満足。弓月は後日、白加巳神社に出向くことになる。 信行に付き添われ、おそるおそる白加巳神社を訪れた弓月兄弟だが、迷子探しのつもりが、幕末の神社機構の改革に絡む陰謀に巻き込まれてしまう。果たして二人はここから無事に戻れるのか?
畠中恵さんの江戸物は軽快で温かい心地よさが魅力。この「ゆめつげ」も作者の持ち味が存分にはっきされている。 今回の主人公は「ゆめつげ」の能力のある弓月。とはいえ、その能力は極めて不安定で頼りない。そんな兄を時には蹴り飛ばしつつも敬愛している弟・信行という組み合わせがなんとも素敵で、自然に微笑んでしまう。 「夢告」の方法も妙に仰々しくなく簡素で、自然に感じられる。身を濯いで、家宝の鏡に手をかざして祝詞を唱えるのだが、その祝詞は何でも良いらしく、その日の気分で違うらしい。そんなアバウトさが弓月のキャラクターにしっくり馴染む。 ただ作品としての特色は出ているものの、どこか頼りない弓月と、しっかり者の弟・信行。この組み合わせが「しゃばけ」の若だんなや妖の手代たちに妙に重なってしまい、やや新鮮味が削がれてしまったのがちょっと残念。
白加巳神社にやって来た三人の少年たち――この中に本当に新太郎はいるのか。やがて起こる殺人事件。白加巳神社に集まっている彼らを狙っているのは誰なのか。その意図はなにか。そして弓月のゆめつげの、一見意味の分からない情景も謎含みと、ミステリ的要素も充分ある作品だが、物語としても楽しい。江戸人情活劇として、時代小説になじみのない方にもおすすめ。
余談として、まるっきり作者に責任はないのだけど、本の装丁や平仮名のみのタイトルなど、いかにも新潮社の『しゃばけ』人気にあやかろうとした角川書店の意図が丸見えで、笑ってしまった。出版社同士でコラボレーションを組んだのかと思ったけど、そうでもないらしく、だとすれば作戦勝ちってやつ?(笑)
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