1998年10月/福音館書店
第3回児童文学ファンタジー大賞受賞作品。 平安初期の京都の五条橋を舞台に、自分の過失から妹を亡くし失意の日々を送る少年・小 野篁(おののたかむら)が、少女・阿子那や鬼の非天丸、そして、死して尚、都を守り続けなけ ればならない坂上田村麻呂らとの出会い、成長していく物語。 この世と地獄を往き来したと伝えられる小野篁を題材にしているが、いわゆる歴史小説では なく、純然たるオリジナル・ファンタジー。
物語の冒頭から、少年・篁と、そして読者は死と向き合うことになる。一緒に遊んでいた異母 妹・比右子を死に至らしめたという罪悪感に苦しむ篁は、比右子が落ちて死んだ古井戸へ向 かうため、五条大橋を渡る。橋のむこうは行くことを禁じられた場所だった。 河原は下層民の葬地であり、河原には屍が遺棄され、その処理は川の流れに任されてい た。これは鎌倉時代まで行われ、背中あわせにある死を極端に恐れるようになったのはさら に後世のことである。当時、川には日常としての「死」が幾らでも転がっていた。無論、死は 悲しい。心を掛けた相手であれば、悲しみはもっと深い。 冥界とを行き来したという小野篁を主人公にした意味は、人の「死」を強く意識させるためだっ たのだろうか。また、隠れ鬼という他愛のない遊びが、のちに鬼たちの呼び水となっているの も心にくい。
妹が落ちた井戸は冥界への入り口であり、橋は異界と現世とを結んでいる。さらに、「鬼」と 人間、少年と大人など、二つの世界を隔てる様々なシーンを結ぶ象徴でもある。少年・篁は、 ある日妹が落ちた古井戸から冥界の入り口へと迷い込む。 そこにはすでに死んだはずの征夷大将軍・坂上田村麻呂が、いまだにあの世への橋を渡れ ぬまま、鬼から都を護っていた。家族を亡くし、ひとり五条橋の下に住む少女・阿古那にとっ て、父が工事に携わっていた橋を守るという気概が生きる意味でもある。田村麻呂に片方の 角(つの)を折られ、この世へやってきた鬼・非天丸は、橋を渡って「人」の心をわが身に知る。
角のない非天丸はかつての力を失い、記憶すら奪われている。流されそうになった橋を守っ てくれた、そのことだけで異形の非天丸を純粋に慕い、また見守っている阿子那のありよう が、非天丸に人の心を呼び覚まし、彼は鬼の本性を恥じ、ひたすらに隠そうとする。火で煮炊 きしたものは食べられないのに無理に食べ物を飲み込み、あとで吐き出す切なさ。眠ってい る阿子那を見つめ、よだれとともに涙を流す、壮絶なほどの痛ましさ。 そして、そんな非天丸に気づかないふりをしていようと決意する阿子那の優しさには、うっか り泣けてしまう。
| 「あたしにできるのは、ずっと気がつかないふりをしてあげることだけよ」
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人は誰しも鬼になりうる。比右子を失った篁の心に落とした翳りも、鬼になりうる闇だった。 そして、その闇を癒すのも、人の優しさであり、その声に耳を傾ける素直な心なのだ。 それぞれに何かを失った痛みを抱えて生きる人々との出会いのなかで、少年は人の痛みを 知り、許し、成長してゆくさまはとても鮮やか。鬼とは、橋とはなんだろうか。深く考えることの できる作品である。
以下余談。 この物語で大きな位置を占める比右子の死だが、『篁物語』において、妹は篁の子を宿して 亡くなっている。そして亡霊となって、他の女と結婚した篁にうらみごとを述べるという件があ り、インセスト・タブーとみる向きもある。それゆえ、「比右子の生まれかわりとも思える阿子 那が、篁を導いていくのは、近親姦から彼を救う他者=よその女」という見方もある。 しかしこの当時、異母であれば普通に婚姻が認められており(異父でも同腹は認知されな い)、ゆえに、近親姦という見方は現代人のタブーに過ぎないので、あまり穿った見方はしな くていいと思う。
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