1982年 早川書房/1986年5月 文春文庫
早春の青山墓地で幼女の惨殺死体が発見された。深夜の独房では死刑囚が異様な告白を始めた……事件は40年前の東京にさかのぼる。美しい公使夫人と書記官はほんとうに死んだのか?(カバーより)
名翻訳家でもあった小泉喜美子氏が残した長篇三部作のひとつで、作者のあとがきによると、『一作目がシンデレラ、二作目が青ひげ、三作目でドラキュラをモティフにする』『西洋三大ロマンの原型』を現代ミステリーとして料理した作品とされ、日本らしい湿気っぽい濃密さと東欧の端正なゴシックロマンとを融合し、独特な世界を構築している。
昭和50年代の「現代」の東京で発生した猟奇的な幼女殺人事件。その容疑者である「ぼく」の少年期の異様な体験の回想とを交錯させながら、物語は繊細かつ幻想的に展開する。 戦前の公使館の屋敷を瞳を輝かせながら遊戯にふける金髪碧眼の兄妹と「ぼく」。内向的な少年の柔らかな感性に染み入る非日常と官能的なまでの妖しさに彩られた恐怖は、甘酸っぱい感傷とともに、美しく鮮烈な印象として「ぼく」の精神に根づいていく。 戦時下の闇に目覚める魔性――だがそれはひと時の目覚めだったのか。じんわりと「ぼく」を侵食していく影。その行き着く果てに待ち受ける「血の季節」。幻想的な彩りに当時の時代背景や風俗が丁寧に書き込まれ、鮮やかにその状況が目に浮かぶようだ。 やがて「ぼく」の回想と、40年後の幼女殺人事件との接点が明らかにされるが、作者はラストにもう一つ、極上のデザートを用意している。
吸血鬼をモチーフとしているが、吸血鬼という設定を物語の中に生々しく描いているわけではない。恐怖の対象たるものの正体を少しずつあきらかにすることで読者の興味をつかみつつ、さらに大きな謎を恐怖の対象として据える――耽美な雰囲気を醸す文体の過去と、抑制された文体で描きだす現代とが、ミステリーとホラーの要素を巧みに組み合わせ、独特の雰囲気で物語を盛り上げていく。その作品の構成の巧みさはさすがだ。
冷たいものにふいにうなじを撫でられるような、色彩すら感じさせるラストが印象的。「ぼく」が語る章の冒頭にボアロー=ナルスジャック『死者の中から』の一節が効果的に引用されているが、最終ページの一行が余韻をさらに深めている。
|