1997年12月/毎日新聞社
デビュー作『黄金を抱いて翔べ』は文章フェチの私はちょっと苦手だった。以来、ご無沙汰 していた高村氏の作品であるが、ここではまった……今さらだけど(笑)。 物語の道すがらに出会うものは、社会の閉塞感だけだ。
本書の中心をなしている犯罪は、グリコ・森永事件を下敷きにしていると思われるが、この事件の不透明な要素たちを、高村氏は作品の中で再構築していく。 日本一のビール会社・日之出麦酒の社長・城山が「レディ・ジョーカー」に誘拐され、製品を「人質」に現金20億円(表向きは6億円)を要求される。城山は警察とマスコミの目を欺き、犯人グループとの裏取引を実行していくのだが、まず事件の発端までが長い。主要人物をひとつひとつ丁寧に提示したうえで、作者はこの事件を、犯人側、警察側、新聞社側、そして犯人が脅迫する企業の動きや心理を、それぞれ丹念に描き出し、物語は複雑に展開していく。
「レディ・ジョーカー」を名乗る犯人グループの各個人は、どうにもならない現実に倦み、厭きている。行き場のない彼らの共通項は競馬だけだ。それぞれの境遇から内面に抱えた鬱屈を社会に向けて表現しようとし、それが犯罪という形で実現することになる。当然、彼らの結びつきは偶然に過ぎない。動機も目的も、行き当たりばったり的要素が強い。 そもそも犯人たちが金の奪取を第一にしていないのだから捜査は困難を極める。さらにこの事件を契機に、企業を取り巻く大きな腐敗構造が顔を出すことになる。
本書の大きな特長をひとつ挙げるとすれば、構成の綿密さ、用意周到さ、几帳面さ、ということになるだろうか。 警察だって部署が違えば優先順位が違う。キャリアとノンキャリアの温度差。警察署内にも対立があり、警察対検察の縄張り争いもある。新聞社の姿勢と、記者の事件に対する執念。 企業内部の闇の部分は代議士や総会屋へ、そしてまた、仕手筋や韓国の闇の組織へと連鎖していく。 犯人探しとか、どんでん返しのようなミステリ的要素はほとんどなく、ひたすら、じりじりとした駆け引きが展開していく。読後の切れ味もよいとは言えないが、重厚な読み応えのある作品である。 それぞれの組織のそれぞれの論理と、事件に関わる個々の事情が錯綜し絡み合いながら、社会の有り様を破綻することなく描ききっている。
伏線として取り上げられた部落差別問題、在日朝鮮人問題、障害者問題、老人問題等についての掘り下げ方は中途半端で、刺身のツマのような扱いになっているのが残念。だがそれも、どこまで行っても真の解決に至らない、社会的諸問題が内包する矛盾ゆえなのかもしれない。「日本はどうなってしまうのか」の一文が胸を突く。
さて、以下はJUNEな視点になる。 この物語の中核にいるのが合田雄一郎という刑事。彼が登場する「合田シリーズ」は、高村作品の系譜上では第一作『マークスの山』 、第二作『照柿 』に続く第三作目にあたり、本書が完結作になるのだそうだ。 ノンキャリア警察官としてはエリート路線を行く男だが、どこかで人生を捨てかけているような危うさがある。その危うさを自分でも意識しており、葛藤し続けている。それでいて自分の立ち位置を、まるで他人のような冷静さで静穏に見据えている。自分自身を自分の中で切り捨てているのだ。そして、それと同様に、他者と自分を冷徹なほど切り離している。 その内面を映す、いつ暴走するか分からない彼の危うさと奇妙な静けさの混沌に人は惹かれてしまう。人の執着をまねく、罪な男である。
犯人グループの一人である刑事・半田修平は、彼の静穏さを壊したい衝動にかられ、自ら壊れていくことを望むし、義兄である加納祐介検事は、微妙な距離を取りつつ18年かけて合田の中に自分の存在を位置づけていく。それはもう、執念深いというか、我慢強いというか…。
加納が登場したときから合田との位置に妙な妖しさを感じて、これは私の邪まな視点ゆえだろうと自分に言いきかせていたのだけど、
この台詞でズキンと来た。この言葉は重い。 「辛いことが辛くなくなることはない」と告げる加納は、合田に対する尋常ではない執着を静かなたたずまいの中に隠している。始めは、暴走しようとする合田を見守ろうとする友情だったのかもしれない。合田の中に踏み込めない壁をぶっ壊したくなっていったのかもしれない。そんな感情が、次第に合田への執着となっていったのだろうか。
終盤、合田が重傷を負ったとき、加納は静かに押さえつけていたその感情を、爆発させてしまう。
| 「君は俺を何だと思っていたのだ。俺を置いて死ぬ気だったのか」
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そして合田は、加納に依存しつつ、それに気づいていなかった…または気づかぬ振りをしていた自分を知る。いつも端然としている加納がみせた脆さに動揺し、憎悪さえ感じる。 その一方で、合田は、加納の感情を揺さぶるのが自分であることを実感し、さらに「人のことを思い煩うというのが、こんなに苦しい」のかと驚く。そして、そのことに深い充足感を覚えるのだ。それでいて、そんな自分に狼狽する――この期に及んでも、アンバランスな男である。 この不均衡な感情が生きていることと自覚した合田が加納に書く手紙には、なんとも切なく、温かい「生」の感情が滲みでている。
半田の半端じゃない妄執といい、加納の執着といい、この愛憎こそがJUNEじゃないか! こうなると、合田刑事の過去が知りたくなる。ということで、ただ今シリーズ作品を読書中。 たとえ苦手な文体でも彼のためなら頑張るわっ、私♪(笑)。
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