フィーバードリーム(上) (下) | ジョージ・R.・R・.マーティン |
1990年11月 創元ノヴェルズ/2000年に復刻されたらしい。
『我は吸血鬼』『救世主なり』――帯のキャッチコピーに思いっきり惚れて手にしたことを覚えているが、今読んでもクラクラとする。キャッチコピーって重要なんだなあ(笑)。
1857年。事故で持ち船を失ったマーシュ船長に、一人の男が共同経営を持ちかける。ただし、莫大な資金を提供する代わりに、彼の行動に対して口出しをしないという条件付だ。ジョシュア・ヨークと名乗るその男は、ほっそりとした体つきで、暗い灰色の目には、見る者が呑み込まれてしまうような力強さを秘めていた。裏のありそうな話とは思いながらも、マーシュはこの申し出を受諾。自分の夢であったミシシッピ河でもっとも早く巨大な蒸気船、フィーヴァードリーム号を手に入れる。だが、ジュシュアは昼間は船室に閉じこもり、夜にしか姿を現さない。船の運航にも差しさわりが出るようになり、疑心暗鬼に駆られたマーシュはジョシュアの奇行を問い詰め、彼の口から驚くべき真実を聞かされる。 ジョシュアは人間とは別に存在する夜の種族であり、川の沿岸に散っている数少ない同胞を集めるのが旅の目的であった。さらに、彼は人間との共存の道を探っていると言う。恐れと疑惑を抱きながらも、マーシュはジョシュアとの友好を深めていくのだが――。
舞台となる19世紀南部アメリカは南北戦争直前の混沌とした時代で、奴隷制度が大手を振ってまかり通っている。そんな猥雑な時代背景や、蒸気船ミシシッピ川流域の鮮やかな描写は、まるで映画を観ているような色彩すら感じる。 血への渇望を克服する手段をもって人間との共存の道を模索するジョシュア・ヨークと、人間が歴史の中で作り出した邪悪な存在のままに生きることを望むダモン・ジュリアン。2人の「夜の種族」の闘いを軸として物語は進行する。
異なる種族の間で友情を築き上げる、優雅でしたたかなジョシュアと剛毅な性格のマーシュ。この2人のやりとりがなんとも面白い。小道具として使われるバイロンの詩が効果的にストーリーに含みを持たせ、黄昏の静けさを感じさせる。 対する「血の支配者」であるダモン・ジュリアンは、人間より優れた種族としての矜持と吸血鬼たる美学にこだわり、人間は家畜としか見ていない。これだけなら類型的な敵役だが、彼はその内奥に重苦しい翳りを抱えており、それゆえ饐えた魅力がある。 夜の種族は吸血鬼として「血の支配者」に呪縛されている。その「血の支配者」としての座を彼らが争うのだが、その闘いは腕力によるものではなく、静かなる対決だ。その種族を、ドラキュラ伯爵に代表される邪悪な存在ではなく、別種族とした設定、その世界観が、彼らにどっしりとした存在感を与えている。
1人の人間が「夜の種族」の存在を認め、彼を助けるために行動を開始したとき、人間と吸血鬼――被害者と加害者、正義と悪という構図が崩れていく。 人間を嬉々として襲う者、良心に苦しみながらも襲わざるを得ない者、あくまで人間を襲うことを拒否する者。そして同じ種族である人間を嬉々として襲い、傷つける人間。人間にもいろいろな人がいるのと同じように、夜の種族にもいろいろな彼らが存在する。すると、人間と彼らとはどう違うのだろう。同じように醜悪で残忍で、同じように感情を有する人間と彼らとの間に、どのような隔たりがあるというのだろう。
エピローグ――緊迫する対決から一転、切なくも不思議な優しさが心に沁みる。
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