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死の姉妹」グリーンバーグ&ハムリー編
石に刻まれた時間」ロバート・ゴダード
クリスマスに少女は還る」キャロル・オコンネル
フィーバードリーム(上) (下)」ジョージ・R.・R・.マーティン
体の贈り物レベッカ・ブラウン







死の姉妹 グリーンバーグ&ハムリー編

1996年発行/扶桑社ミステリー


暗闇に棲み、人間の血を糧として永遠に生き続けるヴァンパイア。この恐怖と蠱惑に満ちた存在に魅せられた14人の人気作家が、腕を競った書き下ろしアンソロジーが登場!五千年のあいだ人類の罪と悲劇を見続けてきた女吸血鬼の祈りにも似た独白を綴るジェイン・ヨーレンの表題作はじめ、バラエティに富んだ傑作ヴァンパイア短編集。(「BOOK」データベースより)

女性吸血鬼の作品を集めたアンソロジー。
残忍かつ性的なメタファーとして扱われる吸血鬼であるが、女性吸血鬼ということで、母性を感じさせる作品が多い。登場する彼女たちは、少女であったり妻であったり、さらに母であったりと、吸血鬼であると同時に女性として描かれているのがこのアンソロジーの特色となっている。

吸血鬼の親子が、同じように夜型の暮らしを営む人間と共感していくコミカルな「夜の仲間たち」(デボラ・ウィーラー)、家族の崩壊劇を描いた「ママ」、アルコール中毒の女性のホームレスが物語る「真夜中の救済者」、吸血鬼がカミングアウトした近未来のアメリカを描く「犠牲者」は現実的でシビア、表題ともなっている「死の姉妹」の吸血鬼を高次元の存在として捉えて母性を全面に出した作品などが印象深い。

収録作:『からっぽ』M・ジョン・ハリスン/『吸血獣』ダイアナ・L・パクスン/『マードリン』バーバラ・ハムリー/『ママ』スティーヴ&メラニー・テム/『夜の仲間たち』デボラ・ウィーラー/『再会の夜』ディーン・ウェズリー・スミス/『貴婦人』タニス・リー/『真夜中の救済者』パット・キャディガン/『受け継いだ血』マイケル・クーランド/『犠牲者』クリスティン・キャスリン・ラッシュ/『マリードと血の臭跡』ジョージ・アレック・エフィンジャー/『ダークハウス』ニーナ・キリキ・ホフマン/
『<夜行人種>の歌』ラリィ・ニーヴン/『死の姉妹』ジェイン・ヨーレン









石に刻まれた時間ロバート ゴダード

2003年1月発行/創元推理文庫


ホラータッチのサスペンス。
最愛の妻マリーナを亡くした「ぼく」は、無二の親友マットと彼の妻でマリーナの妹でもあるルーシーに勧められるままに、二人が住む邸宅アザウェイズに逗留する。だがその家は見るものの感覚を異様にゆがめる造りの不可思議な建物だった。さらに奇怪なのはそれだけではなかった。この家に住んだ者はかならず、奇怪で悲惨な事件に見舞われるしいう過去があったのだ。

死せる妻に語りかける形の告白調はなんとも切ない心情が迫ってくる。
不可解な構造を持ったアザウェイズ。その異様な雰囲気の中で夢と現実の区別がつかなくなってしまう登場人物たち。さらにアザウェイズを巡る歴史の大きなうねりをも用意されて、ねっとりと絡みつくような重厚な味わいのサイコ・スリラー、といったらいいだろうか。
奇妙な現象をもとにして起こる事件と、人生を翻弄される男を濃密に描き、飽きさせない展開ではあるが、終盤で失速してしまった感がある。

小説は全ての謎が作中で解き明かされることが絶対条件というわけではない。余韻を残す手法として、完結部分は読者の想像にまかせるという作品もある。しかし、この作品はそんな効果を狙ったというより、興に乗って内容を盛り込みすぎ、その結果、アザウェイズという家の処理方法が中途半端になってしまった、あるいは放り投げてしまったような印象を受けてしまう。
「ぼく」と義妹の関係、過去に起きた悲惨な出来事が、この屋敷の雰囲気と絡み合い、奇妙な、眩惑感あふれるストーリー展開となっているのだが、気に入ったのか否か、自分でも判断をつきかねる作品だった。



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クリスマスに少女は還るキャロル・オコンネル

1999年9月発行/創元推理文庫


2000年『このミス』6位の作品。
クリスマスも近いある日、アメリカの田舎町で2人の少女が誘拐される。近隣では、誘拐された少女たちがクリスマスの朝に死体として発見されるという、未解決の事件が頻発していた。誘拐された一人の少女の母親がニューヨーク州副知事であったことから、捜査は州警察・FBIの入り乱れた争いになる。そして地元警察から特別捜査官に抜擢された刑事ルージュは、15年前に双子の妹を誘拐され、やはりクリスマスに殺されるという過去を持っていた。だが、犯人は今も刑務所の中にいる。彼は本当に犯人だったのか。
一方、監禁された少女たちは奇妙な地下室に潜み、脱出の時をうかがっていた。
猟奇的な連続殺人犯はいったい誰なのか。そして、少女たちはクリスマスの朝までに救助されるのか。

映像的な場面の美しさ、登場人物たちの心理描写、ストーリー進行のスピード感など、ミステリという要素をしっかりと盛り込んだ作品である。そして、あまりにも意外な結末。この結末が賛否両論となり「問題作」とされているらしいのだが、私自身は物語の必然として納得したし、切なさに泣けてしまった。

犯人捜しの要素も大きいが、そこに作品の主眼があるわけではない。
誘拐殺人という悲劇によって引き裂かれた、一卵性双生児の兄妹。自らの分身を切り取られ心の半分を喪失してしまったルージュ。しかし事件によって、過去は再び痛みを伴って呼び起こされる。けっしてふさがることのない心の傷を隠し、悲しみに耐える彼に魅せられながら、物語は進行する。
変則的な視点の積み重ねによる表現力。丹念に物語を織り上げていくストーリーテリングもあるが、人物設定とその描写がいい。
事件を巡る州警察とFBIの対比。2人の少女の母親の対比。15年前の犯人として服役中の男と、その事件によって深く傷ついた人々の対比。人間関係は複雑に絡み合う。正義感、情念、悪意、恋心、さまざまな断片を覗かせながら、過去が少しずつあらわになっていく。

さらに、物語としての面白さの最大の要素は2人の少女のキャラクターにある。
少女達は誘拐された後すぐに殺されるのではなく、2人は身を寄せ合って救出を待っている。しかもただ待つだけではなく、決してあきらめることなく脱出を試みる。
ホラー映画ファンなら落涙しそうな(笑)、カルトでマニアな味付けもさることながら、自分たちが置かれている状況を冷静に判断する精神力。ホラー好きなサディーという少女の、物怖じせずに、友を庇い、いたわる力強さ。

「あたしにあんたを置いていけるわけないでしょう?」

自分一人で逃げるのではなく、共に生還しなければ意味がない。
そして、この言葉こそが、物語を衝撃と感動のエピローグへと導いていく――サディー、君はとても頑張ったよ……。
とても切なく、残酷、そして美しい聖夜の奇跡だ。










フィーバードリーム(上) (下)ジョージ・R.・R・.マーティン

1990年11月 創元ノヴェルズ/2000年に復刻されたらしい。


『我は吸血鬼』『救世主なり』――帯のキャッチコピーに思いっきり惚れて手にしたことを覚えているが、今読んでもクラクラとする。キャッチコピーって重要なんだなあ(笑)。

1857年。事故で持ち船を失ったマーシュ船長に、一人の男が共同経営を持ちかける。ただし、莫大な資金を提供する代わりに、彼の行動に対して口出しをしないという条件付だ。ジョシュア・ヨークと名乗るその男は、ほっそりとした体つきで、暗い灰色の目には、見る者が呑み込まれてしまうような力強さを秘めていた。裏のありそうな話とは思いながらも、マーシュはこの申し出を受諾。自分の夢であったミシシッピ河でもっとも早く巨大な蒸気船、フィーヴァードリーム号を手に入れる。だが、ジュシュアは昼間は船室に閉じこもり、夜にしか姿を現さない。船の運航にも差しさわりが出るようになり、疑心暗鬼に駆られたマーシュはジョシュアの奇行を問い詰め、彼の口から驚くべき真実を聞かされる。
ジョシュアは人間とは別に存在する夜の種族であり、川の沿岸に散っている数少ない同胞を集めるのが旅の目的であった。さらに、彼は人間との共存の道を探っていると言う。恐れと疑惑を抱きながらも、マーシュはジョシュアとの友好を深めていくのだが――。

舞台となる19世紀南部アメリカは南北戦争直前の混沌とした時代で、奴隷制度が大手を振ってまかり通っている。そんな猥雑な時代背景や、蒸気船ミシシッピ川流域の鮮やかな描写は、まるで映画を観ているような色彩すら感じる。
血への渇望を克服する手段をもって人間との共存の道を模索するジョシュア・ヨークと、人間が歴史の中で作り出した邪悪な存在のままに生きることを望むダモン・ジュリアン。2人の「夜の種族」の闘いを軸として物語は進行する。

異なる種族の間で友情を築き上げる、優雅でしたたかなジョシュアと剛毅な性格のマーシュ。この2人のやりとりがなんとも面白い。小道具として使われるバイロンの詩が効果的にストーリーに含みを持たせ、黄昏の静けさを感じさせる。
対する「血の支配者」であるダモン・ジュリアンは、人間より優れた種族としての矜持と吸血鬼たる美学にこだわり、人間は家畜としか見ていない。これだけなら類型的な敵役だが、彼はその内奥に重苦しい翳りを抱えており、それゆえ饐えた魅力がある。
夜の種族は吸血鬼として「血の支配者」に呪縛されている。その「血の支配者」としての座を彼らが争うのだが、その闘いは腕力によるものではなく、静かなる対決だ。その種族を、ドラキュラ伯爵に代表される邪悪な存在ではなく、別種族とした設定、その世界観が、彼らにどっしりとした存在感を与えている。

1人の人間が「夜の種族」の存在を認め、彼を助けるために行動を開始したとき、人間と吸血鬼――被害者と加害者、正義と悪という構図が崩れていく。
人間を嬉々として襲う者、良心に苦しみながらも襲わざるを得ない者、あくまで人間を襲うことを拒否する者。そして同じ種族である人間を嬉々として襲い、傷つける人間。人間にもいろいろな人がいるのと同じように、夜の種族にもいろいろな彼らが存在する。すると、人間と彼らとはどう違うのだろう。同じように醜悪で残忍で、同じように感情を有する人間と彼らとの間に、どのような隔たりがあるというのだろう。

エピローグ――緊迫する対決から一転、切なくも不思議な優しさが心に沁みる。





田近画伯からの差入れ本です

体の贈り物レベッカ・ブラウン

2004年9月/新潮文庫


食べること、歩くこと、泣けること……重い病に侵され、日常生活のささやかながら、大切なことさえ困難になってゆくリック、エド、コニー、カーロスら。私はホームケア・ワーカーとして、彼らの身のまわりを世話している。死は逃れようもなく、目前に迫る。失われるものと、それと引き換えのようにして残される、かけがえのない十一の贈り物。熱い共感と静謐な感動を呼ぶ連作小説。 (本書カバー)

レベッカ・ブラウン氏といえばバリバリのアメリカ現代作家で、そのハードさゆえ、敬遠していた作家である。しかもテーマはエイズ、介護、そして死――。にもかかわらず手に取ったのは、ひとえに友人に送りつけられたからだった。そして今、この本が読めた事を感謝している。

この中のエイズ患者たちにはゲイの男性もいれば、そうではない老女もいる。みんな死にいくことを受け容れようとしている。
もう思い通りに動かせない体。食べものを受けつけなくなり、だんだん空っぽになっていく体。
末期エイズ患者にとって目前に迫った「死」は、勝ち目のない闘いにも似て、ともすれば絶望だけだ。しかし人生の終焉を迎えるまでは、彼らは自分のできることは自分でしようとしている。それを見つめるだけしかできない、ホームケアワーカーの主人公「私」。
何人もの患者が彼女と時間を過ごして、やがて逝ってしまう。無力感に、彼女は少しずつ疲弊していく。

そんな彼らの生活、その営みが、感情を殺した文体で淡々と綴られる。
エピソードの一つ一つはとても小さいが、人と人とのつながりの普遍性が表れて、この小説を際だたせている。

最後に残されたもの。残していったもの。
絶望的な状態のはずなのに、読んだあとは不思議と暗い気持ちにならない。絶望と隣り合わせのように、そこにもユーモアや、希望や、喜びがある。
その生き様に勇気を貰った。それこそが作者のメッセージなのだろう。




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