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夢枕 獏








沙門空海 唐の国にて鬼と宴す徳間書店

沙門空海 唐の国にて鬼と宴す 巻ノ1 巻(2004/07/21)
沙門空海 唐の国にて鬼と宴す 巻ノ2 巻(2004/07/21)
沙門空海 唐の国にて鬼と宴す 巻ノ3 巻(2004/08/29)
沙門空海 唐の国にて鬼と宴す 巻ノ4 巻(2004/09/16)


17年前に「SFアドベンチャー」誌で連載開始。その後掲載誌を変更しながらようやく完結。全4巻にまとめられての刊行された長編大河。

舞台は安禄山の乱から数十年後の唐の長安。遣唐使の一員として日本の留学僧空海は、儒学者の橘逸勢らと共にやってきた。すでに唐語は堪能、さらに唐の密教を「盗む」ために梵語をもマスターしようという空海の天才振りに、逸勢は己が井の中の蛙であったことを知りつつも、よき友人となる。
空海と逸勢はふとしたきっかけから時の帝をめぐって頻発する怪異に関わることになる。折りしも唐では、皇太子が脳卒中で倒れ、皇帝が逝去し、半身不随の皇太子が帝位につくという状況になっていた。やがて一連の怪異が玄宗と楊貴妃にかかわりのあることが明らかになるが、謎はさらに深まっていく。

物語の枠組みは『陰陽師』シリーズとほぼ同じ。妖かしに対して豊富な知識と大胆さで対処する空海と、優秀ではあるが普通の価値観を持つ橘逸勢の関係も、晴明と源博雅との関係によく似ているが、その若さの分だけ空海のほうが野心や希望に満ち溢れているようだ。
しかし事件の根深さとスケールの大きさでは比ではない。長い歴史を積み重ね、さらに当時、世界でもっとも国際性に富んでいた長安という都を舞台にしているのだから、空間的にも時間的にもダイナミックにストーリーが展開していく。

玄宗に端を発する愛憎の絡み合い。過ぎ去りし過去への懐慕と哀惜、そして後悔。だが、過去にどれほど重責を感じようとも時が遡ることはない。本作では、その重荷に打ちひしがれながらも生きていくしかない過去を背負った人間を描いている。

怪異な事件から、唐王朝を揺るがす大事件に発展してゆく過程は、さすが獏さん。
白楽天の「長恨歌」創作の裏話や、楊貴妃が日本に逃げ延びたという伝説をもとにした謎の解釈、空海の求めた「密」について語られる仏教解釈、さらに「密」を根本においた宇宙論など、とても含蓄深い。

ただ、巻が進むにつれ、ダイナミックに語られる「密」の思想に対して、敵である幻術師たちの存在がだんだん矮小化していってしまうのが残念。全4巻はそのまま起承転結と展開するのだが、第4巻は広げきった大風呂敷をいかに畳むかに作者の意識が向いていたような印象を受けた。
それでも、生き生きと人の息吹すら感じさせる長安という都市を舞台に、空海という偉人が血肉を持った人間として息づき、歴史上の人物が次々と登場して織り成す虚々実々のせめぎ合いは圧巻。中国史に詳しい方には「おいおい…」という部分もあるが、エンタテイメント作品として大いに楽しめるのではないだろうか。







シナン 上・下2004年11月/中央公論新社


実在したオスマン・トルコ時代の天才建築家シナンの生涯を描いた物語。
シナンの生涯は、ヨーロッパ史にも大きな影響を及ぼすオスマン・トルコ隆盛の時代と重なっ
ており、史実をベースに淡々とシナンの足跡を追っている。

幼い頃から神の存在について疑問を抱いていたシナンは、聖ソフィアとの運命的な邂逅によ
り、建築を通して完全なる神を求めることとなる。
少年時代のシナンが、生まれ育ったアウルナス村のヨーゼフ神父と交わす神学問答が面白
い。同じ神のことをユダヤ教徒はヤハウェ、キリスト教徒はエホバ、イスラム教徒はアッラーと
呼ぶことへの疑問。神は実在するか。神や宗教についての捉えかたがとても興味深い。

戒律の厳しさばかりが突出して語られるが、そもそもイスラムは「緩やかな専制」といわれる
ように、異文化に対して寛容な文化である。その礎ともいえるオスマン・トルコ帝国のスレイ
マン大帝や、その右腕であった大宰相イブラヒム、同時代を生きたミケランジェロ、レオナル
ド・ダ・ヴィンチ、コペルニクス、マルティン・ルターなど、そうそうたる人物を、まだ無名だった
シナンの目を通して描いていく。舵取りを間違えると狂言回しだけになってしまいそうなシナ
ンという人間像を、時代に埋もれさせず端的に描写していく筆致はさすが。

迫力ある時代は史実だけでもドラマチックだ。終盤の展開が読めてしまうところは残念だが、
後世に名を残す輝かしい群像の魅力とともに、学校の勉強法では分かりにくい(と思う)世界
史の横時系列が面白く再認識できる。


以下余談。
塩野七生さんのルネッサンス歴史絵巻3部作では、この時代の歴史をヨーロッパ側から描い
ており、その揺るぎない筆致は圧巻。合わせて読むのも面白い。
また、『シナン』作中にも描写されている青の逆さチューリップにまつわる冒険を描いた『青い
チューリップ』(新藤悦子著)もお薦め。児童文学だけど『シナン』を読んだ方なら興味深く楽し
めると思う。




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