竜の棺 ・ 新竜の棺 1989/4 1992/6 祥伝社(NON・NOVEL)
作者は大河ドラマになる小説やホラーやミステリを書いたり、浮世絵の造詣も深く、さらにUFOの本まで出してみたりと、とにかく引き出しの多い直木賞作家である。
日本・世界の神話世界をSF的な視点で解読してゆく試みが面白い傑作。
日本神話や様々な民間伝承・東北中央説・戸来村キリスト来訪説・竹内文書・東日流外三郡誌などの文献を駆使して、古代史の盲点と矛盾から「竜」を追う彼らの元に巨大な組織の圧力がかかる。
そして、舞台は世界へ。「竜」とはなにものか――。シュメール・カッパドキア・アララトと古代遺跡を巡りながら歴史の伝承を紐解き、「竜」の謎に迫る虹人(こうじん)達。
虹人が打ちたてた「仮説」が、日本を皮きりにインド、中国などの神話や聖書が古代遺跡の謎へと結ばれ、紐解かれてゆく過程は圧巻。
特にシビれたのが『日本書紀』にある「国譲り」と、インド神話のカリー神が中国に渡って大黒天(中国では死を司る神らしい)となり、さらに日本に伝わって何故か大黒様になってしまったという説。
とにかく説得力あるし、理解しやすい。説明も丁寧かつ回りくどくない。薀蓄もこうくれば壮大な物語に構築されるという見本である。(薀蓄については「血食」参照…ちょっとキツイかな…笑)
極力ネタばらしは避けたいのだが、ばらさないと話が進まない〜というジレンマが…。
で、ネタばらし、行きますっ。
『竜』とはロケットである、というのが虹人の仮説。それを証明すべく、古今の文献を駆使して竜伝説が残る場所をたどりつつ、最終的に見つけ出した「竜」に乗り込む。彼らがたどり着いたのは4000年前の世界だった――と、ここまでが、『竜の棺』
『新・竜の棺』では、その4000年前の世界で虹人たちは「神」に出会う。
神は二派に分かれて争いを続けており、人間はその神のために戦を繰り返していた。
言葉すら満足に通じない世界で、虹人らは何故ここに自分達が招かれたのかを手探りで探りながら、自分のいた世界に戻る術を求めつつ、 神々の争いの終息を、神話や伝承に基づき証明していく……あ、逆か? この出来事が後世に伝えられて神話や伝承となった、というべきか――んー、ややっこしい。
かつて、人類より高度な文明を持つ存在があった――というのは、お伽話かもしれないけれど、何かしらの土台があって語られるのがお伽話である。それを踏まえていえば、虹人の仮説はあくまで仮説にすぎぬが、別な見方をすればこういった解釈が成り立つという視点が新鮮。
正確には『竜の棺』と『新・竜の棺』は目指すものが微妙に変化しているし、設定としては強引にも思われるが、キャラの魅力もあってついつい引き込まれてしまう。
ところで、後述の『霊の棺』で高橋氏がばらしているが、『竜の棺』『新・竜の棺』に対して、実際にキリスト教カトリック系からの圧力があったと記述している。確かに神話的見地から聖書の内容について結構ヤバイことを書いているのだけど、教会側が物語として認識しなかったためだろうか? そんな裏話を聞いちゃうと、ほら、想像(空想)の翼がますます広がってしまうではないか。そういうのをヤブヘビっていうのだろう(笑)。
ところで私は「神」の存在を信じている。もっとも、私のいう神は八百万の神ってやつで、日本古来からある、いわゆる土着神だ。太陽や大地に限らず、とにかく井戸からトイレから、この世に「在る」ものすべてに神があるという、そんな大らかな考え方が好き。なんたって、貧乏神までいるのがいいやね。
それと似た記述が『新・竜の棺』にある。天動説と地動説を比較にして、太陽の恵みがあってこそ地球に生命がある。だからこそ太陽には感謝しても当然だけど、地動説ってのは太陽を中心にして地球が回っているということではなく、太陽も地球も、もっと小さな星も大きな星もみんな同じだという。 ここでいう神とはそういうもの。
つまり、神話や聖書にある神の概念を否定してるわけではなく、だが特別なものではないということなのだけど、この部分だけ抽出すると、やっぱりクレームがくるかもしれない(笑)。
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