言わずと知れた時代小説の大家である。1000作以上の著作を残され、1990年に急逝。私にとって「粋な殿方」の象徴でもあった。
行間から匂いたつような色気、テンポよく流れるストーリー、 絶妙なる会話、魅力的なキャラクターと、どれをとってもエンターティメントな作品で素晴らしい。
特に会話の妙には唸ってしまう。ストーリーを説明するためや意味のない会話を羅列する小説が多い中、会話にも計算された「粋」がある。
会話が会話として完璧に表現されている、といったらいいのだろうか。読み手に、人物の口の動きから体全体の動き、そして、その場の空気の動きまでもを体感させ、また会話の「間合い」にすら、微妙な心理描写を感じさせるのである。
氏は食道楽でも知られ、その関係のエッセイ集も楽しい。
作中にさり気なく配される食のシーンに思わず生唾を飲み、ついで作ってみる私である。
これがなかなか評判がよく、レパートリーが増えて嬉しかったりする(笑)。
ところで普通は、氏とJUNEが結びつかないかもしれないが、侮ってはいけない。
| 男と女が愛し合うように、男同士が肉体を愛撫し合うのも男色だが、強い精神的な
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| ことに武士の世界にはそれが多い。(仕掛人梅安『殺しの四人』より)
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と池波氏が書いているように、元々武士道には男女の色恋よりも、念者、念若という関係が尊ばれた背景がある。
花郎藤子氏のところでも書いたのだが、もともと男という種族には「男心に男が惚れた」とか「あんたのためなら命も捨てる」という「ホモ因子」が潜んでいるらしいのだが(笑)、それが氏の筆にかかると、同性が書かれることもあるのだろうが、何とも艶かしかったり、ときに生臭かったり、そして切なく読ませてくれるのである。 時代物と敬遠される向きもあるだろうが、「人の世界は善と悪とが紙一重」「人の世は辻褄が合わぬようにできている」という氏の人生哲学とともに、覗き見する価値は大いにある作品たちではないだろうか。
余談だが、「私の故郷は、なんといっても浅草と上野である」とエッセイに書かれている池波氏は、浅草聖天町で生まれ育ち、今は西浅草の西光寺に眠っている。
作品と資料、そしてさまざまな時代小説を収集した「池波正太郎記念文庫」が東京の浅草にオープンされた。また、ここから歩いて10分ほどのところの台東区立中央図書館に記念文庫が設立されている。全著作、書斎の復元、遺愛品などを常時展示して、江戸っ子の粋を貫いた池波ワールドのすべてが堪能できる。 |