2005年6月発行/扶桑社ミステリー
1965年夏、ニュージャージー州の保養地スパルタで、地元の不良青年レイはキャンプをしていた二人の女子大生に向け、面白半分に発砲した。一人はその場で絶命、もう一人も意識不明のまま四年後に死亡した。1969年夏、中年刑事チャーリーはこの事件の再捜査を決意し、レイに圧力をかけて新展開を図ろうとする。麻薬とセックスを生きがいとする鬱屈した若者レイは、追い詰められた末に…。人間の極限状況をえぐる鬼才ケッチャムが描く静謐にして壮絶なサイコスリラー。(BOOKデータベースより)
ベトナム戦争、シャロン・テート事件が起こった60年代のアメリカの田舎町が舞台。当時少年だったレイが無邪気に少女の頭に銃をブチかますという、衝撃的なシーンから物語が始まる。 人間の残忍さや卑劣さといった負の部分を、「これでもか」というほど見せつけられる。率直に言って救いのない作品。それなのに最後まで一気に読ませてしまう不思議なパワーがある。
レイの狂気には、生い立ちや成長過程との因果関係や原因は提示されていない。彼はアメリカの田舎町の普通の家庭に生まれ、不良仲間ではあるがそれなりに友人もいる。つまりレイは、何の脈絡も理由もなく、突然現れた狂気のようなものだ。いわば、からっぽの人型の中に災厄だけが詰まっているようなものと言ったらいいだろうか。 そんなレイに関わり巻き込まれる人々のそれぞれの視点で描写されていく。人々は、レイの暴走する狂気の原因を考え、しかし困惑するしかないのだ。
短気で偏執的、女と麻薬のことしか頭になく、プライドばかりが異常に高い――歪なレイの内面を積み重ねるように、丹念に描写される。物語が進むに連れ、じんわりと彼の狂気が滲み出してくる様子に、ひどく緊張させられ、読者のストレスと不安を煽っていく。たぶん、このじわりと迫ってくる緊張感と迫力が、ケッチャムが好きな人にはたまらなく癖になるのかもしれない。しかし、この本はR15に指定してもいいんじゃないかな?
補足:著者のミスか訳者のミスかは不明だが、登場人物の名前の書き間違い(誤植ではない)が私が気がついた分だけで4箇所ある。 P229 1行目のレイ(誤)→ティム P281 10・11行目のティム(誤)→レイ P396 12行目のレイ(誤)→ティム P475 10行目のレイ(誤)→チャーリー ストーリーの前後関係で正誤が分かるものの、その都度、読み手のリズムが乱されるのが残念。
|