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イケズの構造」入江敦彦
骨は自分で拾えない」斉藤茂太






イケズの構造
入江敦彦

2005年2月/新潮社


辞書によると、イケズとは(1)強情なこと。意地の悪いこと。また、そういう人。(2)わるもの。な
らずもの。(広辞苑より)とある。
それに対して著者は、イケズとは平安時代の宮中に起源を持ち、「洗練された言葉遊び」で
あり、「精神的余裕」と反論(解説)している。
いわく、京都人のイケズは単なる意地悪ではなく、見下しているわけでもなく、「はんなり」
「やんわり」鋭く人を揶揄する話術なのである。大阪人が皆、ボケと突っ込みが出来るよう
に、京都人はDNAにイケズが埋め込まれているのだそうだ。

さて、あなたにはこの区別が分かるだろうか。
a.「コーヒーのまはりますか」
b.「そない急かんでもコーヒーなと一杯あがっておいきやす」
c.「喉渇きましたなあ。コーヒーでもどないです」
d.「コーヒーでよろしか」

a.「コーヒーのまはりますか」→ただの挨拶なので、コーヒーが出てくることはまずない。
  手際よく切り上げること。
b.「そない急かんでもコーヒーなと一杯あがっておいきやす」→これも挨拶の一種なので遠 
  慮しなければならない。さらに「なんでですのん。よろしやん」「コーヒーお嫌いやったら紅
  茶にしまひょか」「もう淹れかけてまっさかい。な」などとどんなに執拗に勧められても、あ
  くまで固辞しなければならない。当然コーヒーの出ることはない。
c.「喉渇きましたなあ。コーヒーでもどないです」→早く撤収せよの合図。
  「喉渇きましたな」の部分が疲れを強調しており、辞退を促がすメッセージなのだ。しかも
  「コーヒーでも」の「でも」のあとには「ちゃっちゃと済ませとくれやす」という無言の圧力が
  潜んでいる。
d.「コーヒーでよろしか」→唯一誘いに乗ってもよい(かもしれない)。ただし、何が運ばれてき
  ても感謝して粛々と飲み干してから退散すべし。

――コワイ……。何がコワイって、日本語で書いてある文章なのに、理解できないこと。
本の中に何度も出てくるのが、「よそさん」という言葉。京都人以外はすべからく「余所者」
で、京都人(=身内)が周知のことも知らんし、察しも悪い。つまり、「ま、よそさんやし、(鈍か
ろうと)しゃあないわなあ」というスタンスなのだ。
しかも京都人は「相手を傷つけない」ためにわざと遠まわしに言ってくださっているのだそう
で、それがイケズなのだという。いわば親切心。「イヤやねんたらはっきりイヤや言うたった方
が親切ちゃうん」なんて言いたくなっちゃうのは修行不足の「よそさん」ということになる。でも
これって、一種の部族意識じゃないのかなあ。

イケズは陰険ではない。陰険は裏表があるが、イケズは正面から堂々と、ただし微笑みつつ
相手を刺す……って、「よそさん」はその微笑みを陰険というんですけど。
イケズは意地悪でもない。滑稽なものを揶揄する方法論ではあっても、嗤うことを目的に人を
貶めたりはしない受け身のもの……って、人の滑稽さを揶揄するのは意地悪だし、それはい
じめってやつじゃないかなあ。
その世界にどっぷりはまれば、この丁々発止は面白いのかもしれないが、読めば読むほど
分からなくなる京都人の深さに、背筋がゾクゾク…怖くなる。

面白いのは、紫式部やシェークスピアなど、古典文学の京都語訳というよりイケズ語訳。
イケズ言葉で解釈しなおすと、作品の機微がよーく分かる。名作とはイケズにあり?……あ
な、おそろし。






骨は自分で拾えない斉藤 茂太

2004年10月/集英社


父・茂吉の死、母・輝子の死、友人の死そして…できれば母のように「ピンピンコロリ」 略してPPKで死にたいと語るモタ先生は今まだピンピンの84歳。人生最後の大仕事、モタさん流「人生あばよ指南」(「BOOK」データベースより)

 「『笑い』が老化を防ぎ、ボケを遠ざける」「『のんびり自然体』が長寿の秘訣」「余分なものを捨てると笑って死ねる」「人生八十年の本当の意味」など、読み進むうちに「死」とは未知への冒険という気がしてくる。
茂太さんは新聞などのコラムしか読んだことがないが、人に対する視線の暖かさが好きで読んでみた。しかし選んだ本は少々大人向けだったたようだ。私にはちょっと早いかな(笑)。
早くに夫・茂吉を亡くした輝子さんは傑物といえるかも。老いてなお溌剌とした生き方は羨ましいというか、見習いたいというか…妙に感動してしまった。
でも介護する人、年老いた人が身近にいる人には、「老い」について考え、知るための参考になる。






幸田文の箪笥の引き出し
青木 玉(あおき たま)

1995年/新潮社・ 2000年9月/新潮文庫


箪笥から母の思いでをひとつずつ引き出して、愛情深く語られる珠玉のエッセイ。
タイトルにある「幸田文(こうだ あや)」は言わずと知れた文豪・幸田露伴の娘で、著者の青木玉は露伴の孫、文の一人娘である。
だからという訳ではないけど、品がいい。これぞ血脈とでもいうのか、文章は簡潔で無駄がなく、 美しい日本語が堪能できる。

文は苦労人である。生母には早くに死に別れ、なさぬ仲の継母とは折り合いが悪かった。
どこに嫁しても恥ずかしくないよう、露伴からは厳しく家事を仕込まれ、心構えを叩き込まれる。その躾は生半なものではなかったらしい。
縁あって結ばれた相手は造り酒屋の大店の跡取り息子。玉がうまれ、穏やかな生活に、やがて戦争が影をおとす。家業、家産は傾いていき、優しいだけで甲斐性のない夫は病に倒れ、性も根も尽き果てた文はついに実家に帰る。だが矜持の高い文は居候の立場に甘んじることを恥として、歯を食いしばるように文筆家になった。
本書は玉が結婚する頃から文の最期までを、文が愛した着物に纏わる想い出を通して、しっとりと静かに語っている。
そして、ふと、着物を通しての私と母との会話を思い出す。着物の扱い方やら、帯合わせやら、または母がその着物を誂えた時代の苦労話だったり、あるいは幸せな思い出話だったり、多くの家庭でも、おそらくこれに似た会話や思いが語られていたのだと思う。
着物とは心を語るものでもあったのかもしれない。
では、私たちの世代は、何を通して母子の対話をするのだろう? シャネルやヴィトンやエルメスはそれに代って、心を伝えてくれるのだろうか。日本が失おうとしているものは、とても大きなものかもしれない。

「自分の決めた分に合ったものを、最も効果的に、そして大切に、しかし思い切りよく」着たという幸田文さんがかっこいい。粋だ。






江戸の性談
氏家幹人(うじいえ みきと)

2003年 8月/講談社



書店で歴史のコーナーを眺めていたら見つけてしまって、嬉し恥ずかし好奇心。で、つい手に取ってしまった。
性を語るなんていうと、気恥ずかしいような、背中がくすぐったいような感じだが、性談とは「生」を語ること。つまり、切実な生への渇望と密接な関係がある、とは作者の言葉。
本書の特徴は、江戸時代の男性の幼年期から老年期までの人生を、長いスパンで性愛文化を幅広く見つめていることだ。乳母に恋する少年や、老後もその愉悦を味わいたいと頑張るジイ様など、実際にSEXできる年齢ではなくても男性にとって性は重要な意味があるらしい。だから副題が「男は死ぬまで恋をする」なんだね。
花のお江戸といえば時代劇。つまり現代より制約が多くて、自由な恋愛なんて夢のまた夢…なんて大間違い。江戸期の広範な資料から驚くような奇抜な事例を取りあげて、西洋文化に染まる前の生き生きした性愛文化が描かれている。

江戸時代は少年愛が認められていたため、男の子は年頃になると狙われる対象ともなり、その危ない時期をどう過ごすかが人生の大きな課題であった。特に武家社会では男色が慣習化しており、美少年の肌が政治を左右する可能性すらあった。果たして、成長した男性が結婚するとどうなるかとか、当時人妻の不倫はよくあることで、それが露見すると男性側は泣く泣く穏便に示談にせざるをえなかったとか、さらには性同一性障害や同性愛など、現代であればアブノーマルとされがちな性愛も、江戸期の文脈の中では逸脱と見なされない。とにかく多様な性愛文化と、そのおおらかさには、新鮮な驚きすら感じてしまう。
しかし、その快楽主義ともいえる背景には、時代が「いつ死んでもおかしくない」貧しく厳しい時代であり、それゆえ切実な恋愛が求められたのだそうだ。

ところで、当時の女性は早々と性の現役から足を洗ったそうだ。女は死ぬまで恋をするかわりに何をしていたのだろう。男性の視点からのみ書かれているせいか、そのあたりが不十分なのがちょっと不満。




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